上海の夜に出会った「誰にも迷惑をかけない愛」の話

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上海の夜に出会った「誰にも迷惑をかけない愛」の話

 その人に会ったのは、川沿いを一人で歩いていた上海の夜だった。川の向こうに派手な色のテレビ塔が立っている。丸い胴体に長い角がついたような形で、昔の人が考えた近未来アニメに出てきそうな形状に、初めて見た時にはとても興奮した。 cd9d81f6-fc54-4760-bc9f-c7be281bbf41  アトリエにこもりきりの生活で少し身体が疲れていた。水辺が好きなので、気持ちをリフレッシュさせようとふらりと出て歩いていたのだ。目の前を黄色と赤の電飾がついたこれもまた派手な色の大型船が横切る。しっとりとした庭園も夜は青や赤の電飾で着飾られるこの国らしい華やかさが、私は好きだ。この世界に正解なんてもともと存在しないって言っているようで。  帰ってまた制作のつづきに取り掛かろうとした時、目の前を歩く人のポケットから何かが落ちた。私は拾い上げて声をかける。落としたのはパスケースのようだ。振り返った人は白人で白髪交じりの茶色い髪をした少し年配の男性だった。 「ああ、ありがとう。助かるよ。中国人は親切だね」 「あー、すみません、私は日本人なんですが」 「おお、すまない。顔がそっくりだから分からなくて」  2週間の観光に来ているというその男性は、近くに泊まっているらしい。外灘は高級エリアなので、裕福なのかと思ったら友人の家があるのだと言っていた。友人が旅行で家を空けているのに合わせて上海に遊びに来たのだと言う。初めてのアジアだと言う彼は、漢字がとてもエキゾチックで美しいと言っていた。 「パートナーが中国語を勉強してるんだ」 「へえー!」 「大人になってから覚えるには難しすぎるけどね。日本人は漢字も読めるんだよね?」 「はい。日本で使ってる漢字のほうが、中国本土のより難しいんですよ。台湾はもっと難しくて」 「それは興味深いね」 「漢字、ヨーロッパとかに行くとすごく人気で。漢字で名前を書くと喜ばれるんですよね」 「それはいいねぇ」 「よければ今度書きますよー、あ、パートナーの方が書けますかね? 今回は一緒に来てないんですね」 「ああ、彼は仕事が忙しくてね」  彼がHe、と言ったことに私は少し立ち止る。その一瞬の間を感じ取ったのか、彼は続けて言う。 「結婚してるんだけど、いわゆるゲイ結婚なんだ」  彼の唇にわずかな緊張が生まれる。わずかな間が、彼にプレッシャーを与えてしまったようで、私は気に病んだ。言葉がうまく見つからない。 「誰に迷惑をかけているわけでもないのに」  私はただ、彼を見上げながら小さく何度もうなずいた。その言葉の裏に、多くの複雑な心境、葛藤、状況があったのだろう。 「ほんとにね」  汽笛の音が上海の夜空に響いた。ずっと聞こえてたはずの雑踏が耳になだれ込んでくる。人々が話す声、犬の鳴き声、車の走る音。 「あっ、名前教えてもらえますか? お二人の。日本語と中国語だと読み方は違うんですけど、日本風の読みを使って漢字の名前を書きますよ」  私が肩からかけてる小袋には、いつも折り鶴が数羽入れてあった。折り鶴をほどき、一枚の紙に戻して二人の名前を漢字で書く。それからもう一度折り直して彼に見せた。 「Are you ready to fly?(飛ぶ準備はいい?)」 「Yes」  何が起こるのかと驚いた様子で見守る彼の前で、私は鶴の尾を引き、羽を激しく動かして見せた。 「わお、これはすごいね、驚いた」 「どこにでも飛んでいけるよ」  そう言って私は彼の手のひらの上に鶴を乗せた。
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