第五話  

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  第五話  

「で?」  睦美が小さく首をかしげた。 「で?」  テーブル越しに、私も首をかしげ返す。 「きまってるじゃない、そこから先よ」 「そこから先、とは?」 「たとえば、そのまま酔いつぶれてめざめたら彼のベッドの上とか」  さぐるような目で言われて、 「なにふざけたこと言ってんのよ」  私はあからさまに顔をしかめた。 「違うの?」 「当ったり前でしょ。なんであたしが、あんなへりくつ男と寝なきゃいけないのよ」 「だったら、送ってもらって、途中でキスしたとか」 「ないない」  ひらひらと手を振ってみせた。 「なら、何もなかったわけ?」  睦美は拍子ぬけした声を出した。 「当然よ。そのあとさっさと店を出て、JRと地下鉄に別れて帰ったわよ」 「な~んだ」  つまらなそうに言いながら、睦美はテーブルのオレンジジュースを取り上げた。  残りのジュースをストローで吸う。ずずっと音がして氷の隙間のジュースが消えてなくなる。  今は二月、真冬だと言うのに、この子とお茶するとオーダーするのは決まってオレンジジュース。見ているこっちが寒くなってしまう。  私と睦美は、駅前ビルの喫茶店にいた。  布施主任との一件から一夜明けた土曜の午後。むしゃくしゃした気持ちがはれずに、私が呼び出したのだ。  ふたりの部屋は同じJRの沿線にある。電車に乗って10分ほどの距離だ。とはいえ、自宅通勤の睦美の家に押しかけるわけにもいかず、最寄りの駅まで出てこないかと電話を入れた。いまから化粧をするのがめんどうだとか、ぶつぶつ言ってた睦美だったけど、けっきょくそのまま押し切られ、しぶしぶ駅まで出てきたと言うわけだ。 「あんたって子は、いったいなに考えてんのよ」 「だって、こんな休みの日に、話がしたいってわざわざ呼び出されたのよ。普通それくらいのサプライズは期待するじゃない」  残念そうな口調は、睦美が本気でそれを期待していたことを物語っている。  やれやれ、と私は思った。  そもそも、睦美という子は、妄想指数、もっと言えば恋する乙女指数が高い子なのだ。学生時代は文芸サークルに所属して恋愛小説ばっかり書いていたらしいし、いまはホームページに流行りのWeb小説を公開したりもしている。そしてそのせいか、彼女の発想の豊かさにはときどきついていけないことがある。 「あのねぇ。あたし、あんたの期待に応えるために男と寝るほど暇じゃないの、分かる?だいたい、いまの話をまともに聞いてたら、これが色恋沙汰にならないことくらい分かりそうなもんでしょうが」 「そうかなぁ?」 「決まってんじゃない。いま思い出しても頭にくるわ。あのへりくつ男ときたら、自分が実績を上げてるのをいいことに言いたい放題。数字なんか上がって当たり前だとか、営業表彰は古い営業スタイルの象徴みたいなこと言ってさ」 「あら、それって少し違うんじゃない?」 「どこがよ?」 「布施さんが言いたいのは、目先の数字にとらわれず、一人一人にもっと長期的な営業戦略が必要だってことでしょ?営推の立場で言えば、それってかなり共感できるわよ。それに、色恋沙汰のほうだって……」  睦美は意味ありげな笑みで、私をみた。 「なによ?」  思わず身構える。 「意外とあるんじゃないのかなって思うのよね。だって、いい感じだったと思うけど?コーヒーを買ってきてくれたり、缶を開けてくれたりとか…」 「そんなの、女の子とふたりで会社にいて、相手の子が倒れたんだから当たり前じゃない」 「食事に連れて行ってくれたり……」 「そのまま帰して途中でまた倒れたら、自分の責任になるからよ」 「歩ける距離なのに、タクシーに乗せてくれたり……」 「歩かせて、途中で具合が悪くなったら面倒だってことね」 「ふだんは女の子なんか連れて行かないなじみの店に、連れてってくれたり……」 「ほかにいい店が思い浮かばなかったんじゃないの?それに、女の子を連れて行かないのは、連れていきてたくても連れてく女の子がいないからよ。そうに決まってるわ」  睦美の言葉にひとつひとつ反論すると、彼女はあきれた表情を浮かべた。 「どうして、そう天の邪鬼かなぁ」 「思ったままを言ってるだけよ。だいたい、目ざわりなのよね。えらそうにへりくつばっかり並べてさ」顔をしかめて言ったあと、あ~あと大きく溜息をついた。「今度こそあの男の鼻をあかしてやるチャンスだったのにな」 「いいじゃない、全社二位だって立派なものよ」 「よくないわよ。あなたね、うちの会社の面接を受けたとき、あたしがなんて言ったか知ってる?」 「御社のトップセールスになりますって宣言したのよね」  採用試験の時のことだった。女だてらに大見得をきったその一言がもとで面接は大盛り上がり。面接官をしていた常務と意気投合して、ほとんどその場で採用が決まったのだ。 「そうよ。トップといったら全社一位。それがあたしの目標なんだから」  きゅっと口もとを引き締めて言うと、 「そのあたりが朱美らしいところね」  睦美は小さく肩をすぼめた。 「どういう意味よ?」 「だって、それって作戦だったんでしょ?」 「作戦?」  首をかしげると、睦美は「うん」とうなずいた。 「聞いたわよ。朱美ってさ。就職活動のとき、人事部の先輩のところに通ってたらしいじゃない」  言われてドキッとした。  睦美の言う人事部の先輩とは、つまり私の大学のOGだ。友だちのつてをたどって紹介してもらい、面接試験のまえに何度か会っている。 「通ってたってほどじゃないわよ。でも、OG訪問なんて就職活動の常識でしょ」 「そうなんだけど。でも、朱美の場合、OG訪問だけじゃなくて、その人と飲みにも行ってたっていうし。いろいろ聞き出したんだろうなって思って、採用方針とか、面接官のこととか」 「飲みに行ったのはプライベートでよ。OG訪問のときに盛り上がって、入社できたら飲みに行きたいねって言ってたんだけど、偶然そのあと外で会ったのよ」  偶然、彼女が帰りそうな時間に、偶然、会社の前をうろついていたら、偶然、ばったり会っただけのこと。偶然は偶然なのだ。 「その偶然をどうこう言う気はないわよ。ただ、そういうところが上手いなって思って」  上目づかいに言われ、私はすっと視線を外した。
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