第六話  

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 すると、 「それって、部長の指示なんですか?」  いきなり矢野が聞いてきた。 「指示ってわけじゃないわ」言葉を選びながら、私は答えた。「今回の大型受注で布施さんが手一杯になって、負担を減らさなきゃならないことは分かるわよね。で、どう減らすかなんだけど、案はいくつもあるのよ。ただ、どれも簡単な話じゃないの。いきなり人は増やせないし、手の空いてる人なんていないし。そこであたしにも意見を求められたってわけ。だから言ったの。矢野とだったらマリノスをやってもいいって」  矢野にはこう言ったものの、真実はちょっと違った。  実際は私から部長に、矢野と二人でマリノスを担当させてくれと直訴したのだった。  マリノス自動車は、毎期安定して実績を見込める得意先だ。細かな受注が多く、手続きも煩雑なため事務処理が大変らしいが、そこをほかの人にまかせられれば、私が担当することもできなくはない。もちろん大変は大変なんだけど、このままの状況なら半年後には部に増員が見込めるはず。それまでの辛抱だ。そしてその間、私の今の担当にマリノス自動車の半分が上乗せされれば、受注実績は大幅アップ!全社トップは完全に射程距離内となる。これぞ私が考えた起死回生のシナリオだった。  ただ、谷垣部長からは、私の案で決めてもいいが、それには矢野自身が納得することが条件だと言われている。 「んな、やってもいいって言ったって、朱美さんはともかく俺は…」  つまりは、目の前でブツブツ言ってるビビり虫を、なんとしてでも丸め込まなければならないのだ。 「あなたのことを買ってるから言ったんじゃない。その気持ちを踏みにじるわけ?」 「そういうわけじゃないんですけど…」 「じゃあどういうわけ?」  私が言うと、矢野は拗ねた目をしてこちらを見てる。  さすが柔道家の端くれだけあってなかなかの粘り腰、むりやり押し切るのは難しそうだ。  それならばと、私は作戦を変えることにした。 「部長はね。矢野が了解するのならこの案で行こうって言ってるの」  部長の言葉をちょっとだけ変えて伝えた。  それを聞いた矢野の表情がパッと明るくなる。  逆を言えば、彼が了解しなかったらこの案はボツになるということだからだ。 「でもね」すかさず私は言った。「あれは試してるわね」 「試してるって、何をですか?」 「あなたの事に決まってるじゃない」 「俺を?」 「そ、部長とのつきあいは長いから分かるのよ。間違いなくあれは試してるわ。あなたがこの話を受けるかどうかをね。いい?谷垣部長は今、すっごく難しい立場に立たされてるの。期末ギリギリになって、とんとん拍子に超大型案件が取れたのはいいけど、この時期から来期の増員は難しいわ。なんとかして今のメンバーで来期は乗り越えなきゃいけない。そうはいっても、うちの部を見わたしても余裕のある人なんていないじゃない?頼れるのは新戦力のあなただけなのよ」 「そうですかねぇ」疑いのまなざしで矢野は言った。「余裕ありそうな人もいる気がするけど…」 「ちょっとぉ、うちの部の誰が暇こいてるって言うのよ!」 「暇こいてるとは言ってないじゃないですか。ただ、みんなが余裕無いってのは…」 「あんたが知らないだけよ。みんな大変なんだから」 「そうなんですかね」 「そうよ。決まってんでしょ」 「でもですよ。そんなにみんな忙しいなら、今からだって会社に増員をお願いする手だってあるじゃないですか。事情が事情だし、今期の予算は大幅達成なんだから…」 「甘いわね」  ボソリと言うと、矢野は言葉を止めて怪訝な顔をした。 「なにがですか?」 「さっき言ったじゃない、そこが難しい立場なわけよ。谷垣部長は、営業一部の野田部長と出世争いの真っ最中のなの。営業一部も今期はしっかり予算達成してるわ。ここでうちだけが、『増員して下さ~い』とか上に泣きを入れたりできると思ってるの?」 「そうなんですか?」 「あったりまえじゃない」  そんなのもちろんでまかせだ。  谷垣部長は、今からでも会社に増員依頼をしようとしていたらしい。しかし、私が懸命に願い出たことで考えを変えたようだ。無理を言って人を貰おうとしても、なかなか優秀な人材は望めない。なんとか来期いっぱい持ちこたえれば、その間にめぼしい人に当たりをつけることもできると考えたのだろう。  そんなこんなで、渋々ながら矢野はマリノス自動車を担当することを了承した。  そしていよいよ、私のもくろみと共に、新しい期がスタートしたのだ。
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