第七話  

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 やがて約束の時間となり受付を済ませた。  ほどなくして現れた購買課長と共に、二階の打ち合わせコーナーへと向かう。  そこはパーティションで区切られた商談専用のコーナーで、ずらりと並んだ区画にはそれぞれ6人がけのテーブルが置かれている。  名刺交換を終えてテーブルにつくと、私は控えめな視線で目の前の購買課長を観察した。  その人は、虎谷という名の40台半ばくらいの男性だった。小柄で痩せた風貌はどことなく神経質そうな感じがして、虎というより狐に近い雰囲気だ。椅子にふんぞり返って摘んだ名刺を眺めている姿を見ても、交渉相手としてはかなり厄介そうな感じがする。 「田代朱美ね」  摘んだ名刺をテーブルに落とすと、今度は品定めするような視線を私に浴びせてきた。 「よろしくお願いします」  私はペコリと頭を下げた。  さらに、「今回、御社のような日本を代表する企業を担当させて戴くことになって…」続けて喋ろうとすると、 「おたくにも女の営業さんっていたんだ」  私の言葉を無視して布施主任に話しかけた。 「はい、まだ数は少ないのですが。ただ、みんな優秀な子ばかりですから、今後はもっと増えると思っています」  几帳面な口調で布施主任が答えた。 「今後はねぇ」課長は鼻で笑った。「このご時世、よその会社は女の営業なんて当たり前よ。いまさらそんなこと言ってるって、ちょっと遅れてんじゃないの?」 「はい、たしかに……」 「うちの開発も言ってんだよね。おたくはいい物は作るんだけど、いまいち考え方が古いって」 「耳の痛いお話です。ただ、我が社もそのような事のないように……」 「で、あんたもその優秀な子のひとりなんだ」  今度は布施主任の言葉を無視して、私の方へと向き直った。  布施主任は言葉を詰まらせるようにして、しゃべるのをやめた。  見かけによらず血の気の多い彼のこと、たぶん心の中ではムッとしているに違いない。  一方、いきなり話を振られた私は、すかさずにっこりと微笑んで見せた。 「はい、そう言って戴けるように、努力してます」  このタイプの男がいきなり横柄な態度に出てくることは、ある程度想定されたこと。ここで引いてしまったら営業なんか勤まらない。 「努力するとは誰でも言うんだよねぇ。大事なのは結果なの。分かってんのかなぁ」  間延びした口調で言うと、ジロリと見据えられた。どこか見下した感じの視線だ。 「ええ、もうそれは、身にしみて分かってます。だからこそ私、いま、すっごくモチベーションが高いんです」 「なんでよ?」 「御社ほどの会社を担当させて戴くからに決まってるじゃないですか」  鼻にかかった声で言ってみた。  注意深く反応をうかがう。 「上手いこと言ってぇ、うちは厳しいよ。聞いてんの?」  そう言いながらも、口もとが緩むのがわかった。  どうやら不快には思っていないようだ。 「もちろん聞いています。御社購買の厳しさはマスコミでも取り上げられて有名ですから。でも、それが御社の復活劇を支えたんですよね」 「まあ、それはそうだけどね」  まんざらでもなさそうな様子だ。  一時期、業績悪化に苦しんだマリノス自動車は、大規模なリストラにより業績回復を成し遂げている。その原動力のひとつが購買部門における容赦ないコスト削減であったことは有名だ。 「御社が業績を伸ばさなければ、納入業者への発注も増えないわけですから、その厳しさはひっくり返せば私たちのためでもあるわけです」 「調子のいいことを言うねぇ。ま、その言葉は行動で示して欲しいもんだな」  今度ははっきりと表情を崩した。どうやら機嫌は上向きのようだ。 「まかせて下さい。それにですね。モチベーションの理由はもう一つあって、実はですね……」  と、虎谷課長に向かって身を乗り出し、ひそひそ話するような姿勢をとる。  不思議そうな顔をして、彼も軽く体を起こした。 「私には野望があるんです」 「野望?」 「そうです。ここだけの話なんですけど。うちには布施って営業マンがいて、営業成績はいつもトップ、私にも二回ほどチャンスがあったんですけど、どうしても蹴落とせないんですよね」  そこまで話すと、「田代……」と、隣の布施課長がひじで突っついてきた。何を言い出すんだということみたい。  私はかまわず続けた。 「でも、今回、彼から御社の担当を奪うことができて大チャンス到来なんです」 「蹴落とせそうかい?」  面白そうに虎谷課長は笑った。 「それが微妙なところなんですよ。敵もなかなかしぶといですから。つまり、私の野望が成し遂げられるかは、課長の指先にかかってるんです」 「私の指?」 「そう、発注端末をこうポチポチっと」  パソコンのキーを打つまねをしてみせる。  すると、虎谷課長は声を上げて笑った。 「私が直接伝票を切るわけがないだろ」 「あ、そっか」  小さく舌を出し、首をすくめた。 「もっとも、伝票の承認は私がするんだがね」  指さし指でマウスのボタンを押すまねをした。 「ということは、私のこの指先に朱美ちゃんの運命が掛かってるわけだ」 「よろしくお願いします。虎谷課長」  媚びるように言うと、彼は嬉しそうな笑い声を上げた。  そこから先の会話は、一転して明るい雰囲気で進んだ。  話の内容はほとんど雑談で、虎谷課長は私のことを根ほり葉ほり聞きたがった。 「へぇ、朱美ちゃん、剣道やってたの?」 「はい、こう見えても少女剣士だったんですよ。中学生の頃までは男の子にだって、そうそう負けなかったんですから」 「そう言われてみれば、そんな感じもするか」 「わぁ、私って凛々しいですか?」 「んにゃ、竹刀を持って男を追い回しそうな感じ」 「わぁ、ひっどぉい、虎谷課長ったらぁ」  拗ねた口調で言うと、鼻の下が伸びる。  キャバクラとか好きそうなタイプと、会社の顧客カードに書いておこう。
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