ホラーについて

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ホラーについて

ホラーは、グロテスクに走るのは邪道だと思っている。気持ち悪いだけなら評価は低い。しかし、ゾンビ映画が流行るように、グロの需要はある。ただ思うのだが、あれはグロそのものの描写に頼るというよりも、お化け屋敷的な突然の仕掛けや、意外な展開、予想外の結末や、バッドエンドを楽しむものなのではないかとも思う。 モダン・ホラーの第一人者として挙げられるスティーブン・キング作品には映画化されたものがいくつもある。映像化されるとグロさが全面に出てきてしまい、そればかりに意識がいってしまうこともあるが、けっこうヒューマンドラマとしてもイケているものもあるのだ。 お気に入りの作品に「ペット・セマタリー」(かつて映画の日本公開時には“セメタリー”と表記されていた)というのがある。簡単に言ってしまえば家族愛の物語なのだが、そこにホラー要素が取り込まれ、最後に悲劇が待っているという作品だ。 作中のモチーフになるミクマク族の伝説は恐ろしくもあり、興味深くもあり、悲しくもある。アメリカ先住民族は従来文字を持たず、19世紀以降に発明されたものを使うようになったと言われている。それまでは口伝えの伝承があっただけだった。 作中で出てくる言い伝えもそうやって伝わる間に、ある種の齟齬(そご)が生じて悲劇を生み出すようになったのかもしれない。儀式のあった当時に文字があって、それが記録されていたならば、のちの悲劇は起こらなかったのではないかと思ったりもする。 いわば過去からの手紙である。 映画は残された者の歪んだ愛情が引き起こす悲劇なのだが、もし死んだ者が自分の意思を書き残していたなら、それは防げたかもしれないと思うが、若くして突然の死なら、それ自体が無理だったなとも思う。 たいていのホラー作品は、登場人物が伝承を軽視していたり、間違った解釈をしていたりといったことが原因になることも多い。書き残されたものを正しく解釈するというのも大事なのかもしれない。
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