夜道

1/4
1人が本棚に入れています
本棚に追加
/4ページ
「ずいぶん遅くなっちゃったな。」  最寄り駅の改札を出た高橋明里(たかはしあかり)は、月を見上げて(つぶや)いた。あまり残業をしない彼女にとって、終電で帰るのはとても珍しいことだった。明里(あかり)は駅からの帰り道、赤みの残った月を愛でながら歩くのが好きだった。ところが今日の月はずいぶん高い所にあるし、真っ白で冷たくすら感じられる。酒臭い満員電車に揺られ、ただでさえ辟易(へきえき)しているというのに月にも見放されたような気がしてしまう。こうなってしまうと、気持ちは沈んでいくばかりだ。  彼女は目の前にそびえる急な坂道を見上げてため息をついた。自宅は、坂の上から徒歩20分の場所にある古いアパートだ。この長い家路(いえじ)を踏破しても、独り暮らしの彼女には夕食の支度が待っている。滅入った心で歩みが止まらないように、一歩一歩踏みしめながら、重い足取りで坂を上って行った。  坂を越えるまでは何人かいた帰宅途中の同志達も、最後の角を曲がると一人もいなくなってしまった。そのせいか、角を曲がった瞬間に音と光が闇に吸いとられてしまったかのようだ。等間隔に離れて並ぶ街灯の光が随分寂しく感じられる。ここから家までは5分ちょっとの直線だ。大した距離ではないのは分かっているのだが、そう思ってからが長く感じられるものだ。空の三日月も、あまり夜道を照らしてくれない。 「名前も何の役にも立たないよね。」 明里(あかり)はこんなことを(つぶや)きながら、ただひたすら歩くことに集中する他なかった。
/4ページ

最初のコメントを投稿しよう!