コマドリは飛ぶ

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 誰がコマドリを殺したの?  それは私、と雀が言った  私の弓と矢で  私が殺した、コマドリを  あの子が死んだ。  二ヶ月前、校舎の四階、音楽室から飛び降りて、死んだ。  事故だった、と先生は言う。  かわいそうなあの子は、事故で落ちて死んだのだ、と言う。  でも、生徒たちは、少女たちはそんな風には思っていない。  だって、普段閉まっている、出ることを禁じられているベランダに、どうして出たの? ベランダの手すりをどうやって越えたの? どういう、事故なの?  先生のいないところで、少女たちはそう噂する。  朝の校庭で何かをついばんでいる雀のように。  あの子は自分で飛び降りたのだ。  黒いセーラー服のスカートを、夕焼けの空にはためかせて、落ちたのだ。  少女たちはそう思っている。  どうしてあの子は飛んだのか。  少女たちは噂する。  他校の男子にフラれたのだ。  音大への道を諦める羽目になったから、だから音楽室から飛んだのだ。  友達と喧嘩したって。  少しの背徳感と、それを上回る高揚感で噂される。  飛んでみたい、と一瞬でも思ったことがない少女は、きっといない。  些細なことでも、逃げ出したくなる。だから、実際に飛び出したあの子が羨ましい。  少しの罪悪感と、それを上回る羨望の眼差し。  ぴーちくぱーちく。  噂がされる。 「ねぇ」  それに横から声をかける、一人の少女。 「その辺にしといたら? 死者を貶めるのは恥ずべき行為よ」  リーダー格の彼女の言葉に、少女たちは黙る。大きなカラスが来たかのように、散り散りになっていく。  私は、それを黙って見ていた。  噂は止められない。  憶測は広まる。  そしてもう一つの噂。  出るらしいよ。何が? 幽霊が。あの子の幽霊が。音楽室で。ピアノを弾いていたって。みんな見たって。先生も見たって。声をかけたら消えたって。出るらしいよ。幽霊が。  こそこそと、教室の隅で囁かれる会話。  私は、黙ってそれを聞いていた。  リーダー格の彼女は、聞こえないかのように何も書いていない黒板を睨んでいた。  放課後。  誰もいない教室でぼーっとしていると、彼女が廊下を足早に通るのが見えた。  部活中に抜け出してきたのだろう。ジャージ姿だった。ポニーテールが、左右に大きく揺れる。  階段に向かう後姿を見て、既視感を覚えると、私は立ちあがった。  彼女の行き先は予想通り音楽室だった。  あの子が飛んだ、音楽室。  彼女は一瞬躊躇うように、ドアに伸ばした手を引っ込めて、それでも次の瞬間には勢い良くドアを開けた。  彼女はそのまま、つかつかと中に入っていく。  私はそれを後ろから眺めていた。 「いるの?」  彼女が名前を呼ぶ。 「怒って、いるの?」  囁くように。 「ねぇ」  哀願するように。  私は、それを黙って見ていた。  彼女は私には気づかない。  誰がコマドリを殺したの?  それは、 「私が……」  両手で顔を覆って彼女が言う。 「私の、せい……?」  そのまましゃがみこむ。  泣きそうな、声。  泣きたいのは、私の方なのに。 「私が……あなたの、指を……」  彼女は自分の両手を見つめる。  十本揃った、綺麗な指。 「奪ったから……?」  彼女はそのまま、ピアノに視線を移す。今は蓋が閉じられた、グランドピアノ。  私は、彼女と同じように自分の両手を目の前にかざした。  ひしゃげた、右手の中指と薬指。もう、戻らないと言われた。 「あれは、事故だったのよ……」  そう、事故だった。  事故ではあった。  だけど、私は危ないからやめてと何度も言った。演奏中にピアノに寄りかからないで、と。鍵盤蓋が動いたら危ない、と。  なのに、彼女はやめなかった。  確かに、事故だった。  事故ではあった。  あの日、突然の地震に彼女がびっくりしただけで。その結果、急に鍵盤蓋が閉まっただけで。私が、手をひっこめることができなかっただけで。  事故だった。  私の指が動かなくなったのは、ただの、事故だ。  音楽の道を諦めることになったのは、ただの事故だ。 「恨まないで……」  彼女が泣きながらそう言う。  ジャージ姿の、泣いている彼女。  あの日と、一緒。事故のあった日と。  痛い痛いとわめく私の前で、誰かを呼びに行くこともせず、ただ泣いていたあの日と一緒。  誰がコマドリを殺したの?  それは私、と彼女は言った。  じゃあ、コマドリは一体誰? 「それは、私」  と、私は言った。  音楽室から飛んだコマドリは私。  泣いている彼女を放って置いて、窓ガラスをすり抜けてベランダに出る。  テニス部が部活をしているのがここからだと見える。  ここから飛ぶことにしたのは、ここからなら、テニス部の彼女に見えるかもしれないと思ったから。私が、飛ぶ姿が。  実際に、見えていたのかどうかは、わからないけれども。  彼女はまだ泣いている。  誰のために?  なんのために?  わからないけれども。  音を奏でられないのならば、生きている意味はなかった。  だから、私は飛ぶことにした。  ただ、それだけのこと。  羽を折られたコマドリが、無様に地面に叩きつけられた。ただ、それだけのこと。  音楽室内に戻る。  彼女の正面に座り込む。  どうせ、見えていないだろうけど。  私がまだここにいるのは、幽霊になっているのは、やっぱりまだ心残りがあるからなのだろう。  彼女が自分を責めているのが心残りなのだ。  泣いている彼女を恨んでいないといったら嘘になる。呪っていないといったら嘘になる。  だけど、私が飛んだのは私が選んだこと。  彼女のせいじゃない。  気にしないで。  彼女のせいになんかしてあげないから。  酔わないで。私を殺したことで、悲劇のヒロインにならないで。  あなたは雀。誰もあなたを責めたりしない。マザーグースの歌みたいに。誰もあなたを、責めたりしない。  だって、事故だもの。そうでしょう?  足音がする。誰かが来る。彼女の名前を呼びながら。  部活中にわざわざ消えたのは、こうして探して欲しかったからでしょう? 計算しているのでしょう? 泣いているところを見つかって、すべてを説明せざるを得ない状態にしたいのでしょう? あなたのせいじゃないよ、って誰かに言って欲しいからでしょう?  だったら、私が言ってあげる。あなたのせいなんかじゃない、って。私が選んだことなのだから。  あなたに聞こえないのが残念。  ドアが開く。  どうしたの?! とかけよってくる少女たちを確認すると、私は彼女から離れた。  ベランダに出る。  もしも、それでも辛いなら、あなたも飛べば、いいのにね。  私が、私が……そんなうわごとのような彼女の声を聞きながら、私は、  飛んだ。
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