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三章 主人と奴隷の子供
おうとつの激しい山道を、キートンは歩いていた。歩き通しであったから、足はくたびれていた。
この一週間は野宿だった。
旅であるから野宿は珍しいことではないし、満天の星のもとで眠ってしまうのも悪くはないのだが、土のベッドでは体が固くなってしまう。ふかふかのベッドで眠れるのなら、それに越したことはないのだ。
右前方に、小道が繋がっていた。近づいてみると、足跡や車輪のあとがあった。そう古くはない。人が通った様子だ。この先に民家があるのかも知れない。
食料も切れかけていたし、交渉次第では譲ってくれるかも知れない。キートンは小道を進んでいった。
しかし、こんな深い森の中に人が住んでいるだろうか。
少し進むと、道が舗装され始めた。金は持っていると推察された。
すると、立派な青銅の門と石垣が見え始めた。その後ろには、見事な洋館がそびえ立っていた。
キートンは思わず唸った。二階建てで、壁は白い漆喰塗り、屋根はオレンジの瓦。造られたばかりらしく、その色彩も失われず輝き、汚れていない。
窓の数からも解るように、なかなかに広い。
しかし、こんな辺鄙な場所に洋館を建て住んでいる者は、よそ者を快く思わない無愛想な人間か、それとも、とてもフレンドリーな人間のそのどちらかだ。キートンは後者であることを願った。
門に近づいていき、中をもう少し確認してみることにした。
人がいた。玄関の前でロングチェアに座り、両足を組みタバコをくゆらせていた。男のようだ。横幅がでかく、肥えている。
男も気がついたようで、顔を上げた。怪訝な顔をして立ち上がり、右手の人差し指と中指にタバコを挟み、こちらに近づいてきた。
今にも怒鳴りだしそうだ。前者であったのかも知らない。
しかし、後者なのかも知れなかった。近づくにつれ、段々と表情を柔らかくしていったのだ。歓迎するように両手を広げた。
急な変化にキートンは驚いた。初見の人間にみせる顔や態度ではなかった。
知り合いだろうか?
思い当たる節はなかった。
あと数メートルというところで、男がまた両手を広げた。右手の小指は失われていた。
「キートンさん!」
男は満面の笑みを見せ言った。
名前を呼ばれた。つまりは知り合いである。だが目の前に来ても、やはり分からなかった。
しかし、なぜだか懐かしい気持ちにもなっていた。不思議だった。親しみと人懐っこさがあるその笑顔は――
「キートンさん、お久ぶりで! 何年ぶりだろう! いやあ、遊びに来てくれるとは思わなんだ」と男は言った。ふわりとタバコのにおいがした。
「失礼、誰だか思い出せないんだが……」
すると男は笑った。やはり人懐っこさがある。
「ああ、前は痩せていましたからね。悲しいけど、解らなくても当然ですよ。私です。ラルサンですよ」
「ラルサン!」
そうだ、ラルサンだ。
懐しい人物だ。ラルサンは人懐っこい笑顔をしていた。懐かしい気持ちになっていたのは、このためだったのだ。
確かに数年間会っていなかった。その時は痩せていた。ただ脂肪がついただけで、人はこんなにも変わってしまうのかとキートンは思った。
ラルサンは門を開けると、どうぞお入り下さいと言った。庭は芝生が生え、扉の前まで石畳がひかれていた。
「本当にお久ぶりですね。実は、初めは私も誰だか解らなかったんですよ。前にお会いした時は、体つきも良かったから。私とは違い、だいぶ痩せてしまいましたな」
「ああ、俺も数年でだいぶ違ってしまったよ。だが会えて嬉しいよ、ラルサン」
「ええ、私もですよ!」
ラルサンは握手を求め左手を差し出した。そして、あっこれは失礼しましたと言うと、慌てて手を引っ込めた。
キートンに左腕はない。
ラルサンはタバコを左手に持ち変えると、右手を差し出した。煙がラルサンの前でゆらゆらと横一文字に揺れた。
差し出された右手を、キートンは握った。四本指だけの感覚だった。ラルサンの手は肥えてごついが、皮膚は牛の革のように硬かった。
右手の甲を見せているので目についたが、皮がめくれ、生乾きだった。それは人を殴ったときにつく傷だった。キートンは手を離した。
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