溺れるレモン

隙間

「田中先生のすごいとこは、自ら研究して実践していったことを基にして講義をしてくださるところなんだよね」

　さやかさんが父のことを褒める。
　教育を学ぶときに「理想論」ばかり並べられることがある。でも父の講義は自分で試行錯誤して、「こうしたらこんな反応」「ああしたらこんな反応」と具体的な姿が分かって、なかなか人気らしい。
　自分の親のことを他の人から聞いて、評価されているのを聞くのは少しこっ恥ずかしかった。
　「はあ」「どうも」しか基本的に返事しない俺にさやかさんがいろいろ話しかけてくれる。

「あ、さっきのガム、美味しかった！」

「新商品のやつですね」

「レモンとかオレンジとか柑橘系の匂いや味を好む人ってストレス多いらしいよ」

　ストレス。今日に限ってはさやかさんに会うまでの間が本当にストレスだった。そんなことは絶対言えないけど。

「あ、ここの2階」

　駅から徒歩5分ほど。白い壁のアパートに着いた。さやかさんの背中を追いかけて、簡単な作りの階段を上っていく。