あるひの鬼谷と百瀬

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 そのせつな、まっ白になった百瀬の世界に耳をつんざく轟音とともに、忘れ果てていた、いや、封印されていた記憶が一挙になだれ込んできた。 ―― オモイダセ ―― オモイダセ ―― オマエハ、ダレダ? ―― オマエハ、ナニモノダ? 「そう僕は……」  今までうつろに見開かれていた百瀬の目に、不意に強い光が宿る。 「僕なら、できる!!」  百瀬は脇の万年筆をぐわし、と掴み上げ、口でキャップをくわえて勢いよく外した。そして、文机の引き出しに入った原稿用紙をわしづかみにとり出し、机上に据えると 「ぐわぁぁぁぁっ」  鬼谷の雄たけびにも負けぬ咆哮を上げ、ペンを叩きつけるように文字を刻み始めた。  外はすっかり暗くなり、電気もつかない部屋の中で聞こえるものは、暗闇をものともせずに紙の上を走るペンの音のみであった。 『 たろうもも  むかし、といっても今から三十年前のお話です。  ばしょはげんていされると何かとこまるので、あるところに、としておきましょう。  おじいさん・源治七八さいとおばあさん・スエ七九さいがすんでいました……  百瀬はペンを走らせながら、「うんっ」とひと息きばり、中腰となる。  しゃらららん  百瀬の背後、軽やかな鈴の音とともに、暗がりに何か微かに輝くものが転がり落ちた。 「うんっ」 ―― しゃらららん 「うんっ」 ―― しゃらららん  次々と産まれる、たろうもも、であった。
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