あるひの鬼谷と百瀬

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あるひの鬼谷と百瀬

『  むかしむかしあるところに、おじいさんとおばあさんがすんでいました。  おじいさんは山へしばかりに、おばあさんは川へせんたくに行きました。  おばあさんが川でせんたくをしていると、川上から、なんと。 大きなももがどんぶらこー、どんぶらこーとながれてきました。  おばあさんはたいそうびっくりして、ながれてきたももをひろって、いそいでうちにかえりました…… 』 「オマエね」  原稿から目を上げた鬼谷(きたに)は、心底冷たい視線を浴びせかけてきた。  視線同様の冷えた物言いに、目の前の百瀬(ももせ)はつい、手元に目を落とす。 「昔話で、小学校低学年用で頼んでこい、って確かに言ったけど……これで、はいありがとうございます、って受け取ってきたのか?」 「……はあ」 「これさ」鬼谷が声を作って読み始める。 「むかーしむかしぃ、あるところにぃ」  おばあさんが桃を切ろうとしたくだりで、ぴたりと読むのをやめ、そのまま原稿をみつめている。その目を離さずに、鬼谷は百瀬にこう問いかける。 「で、どうなる?」 「はあ……桃の中から赤ん坊が」 「で、どうなる?」 「桃太郎と名づけられて、」 「その後は」 「犬と、猿と、鳥と」 「雉だよね、それ」 「はあ、で、その雉と……」段々声が小さくなるのが自分でも分かった。 「鬼が島に」 「で、タイトルが?」  鬼谷は大仰なしぐさで原稿用紙の一枚目に戻る。 「た・ろ・う・も・も」  鬼谷がじろりと百瀬を見やる。百瀬はますます身を縮ませた。 「ってさあ、まるっきり桃太郎なワケじゃん!?」  鬼谷がとつじょ大声を張り上げ、その拍子に原稿を百瀬に叩きつける形になった。用紙が束のまま百瀬の顔面を直撃して、竹内先生が綴じてよこした中古のとじ紐が切れ、紙が派手に四方に散った。 「オマエさ、いっくらタッケーが児童文学の大御所だって言ってもさ、これじゃあまるっきり、最初から最後まで、どこまでいってもモモタローだろ? えっ? タイトルひっくり返していいジャン! なんて思ってねえよな? は? 素朴で簡潔で、ユーモラスでしかし心に響く、って童話を年内で、って無理言って仕上げてもらった手前、あんまりうるさく言えないのも分かるよ、オマエがまだペーペーの部類のクセに、タッケーに気に入られてるからってオマエに担当を一任した上司のオレにも責任はあるだろうよ? だがな」  鬼谷がごつい人差し指を突き出して、百瀬を更に責め立てる。 「こんなん、単なるパクリじゃんよ、パクリ以前の問題だし、パクリ前の『お口あけて、はいアーン』にも満たねえ、しかも何で桃太郎なんだよ、こんなん、原稿でも何でもねえ、なーにが」  たまたま目の前にひらりと降ってきた、最後の一枚を憎々しげに拾い上げ 「『めでたし めでたし』」  と、さも馬鹿にし切ったように大声で読んでみせた。 「……って何だよぉっ!!」雄たけびとともに鬼谷は最後の一枚を床に叩きつけた。が、当然それはひらりと揺らいで舞い上がり、更なる鬼谷の怒りを誘った。  いいか百瀬チャンよ、今度こそタッケーからまともな『昔話』を貰ってこい、いいな。  モモタロー丸写しとか××パクリとかそんなんじゃなく素朴で簡潔でユーモラスでしかし心に響くって童話を二十枚に年内もうあと今年も五日しかねえよな?はあ?年末休み?クリスマス出勤分?知るかオマエの事情なんぞとにかく三〇日まで待ってやる今度はしっかり原稿に目を通せよちゃんとやることやらねえとオマエには来年どころかこの先の人生もねえからなこれは業務命令じゃない絶対指令だぞ行けぇぇぇぇぇっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
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