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午前の授業が終わりを告げ、待ちに待った給食の時間。
教室前方、黒板の前で給食当番がお皿やお椀に今日のメニューを盛りつけていく。
人によって得手不得手があるので、本来均一に盛られるべきおかずがお皿によって少なかったり、多すぎたりするのもまた、一興だろう。
しかし具材にかたよりがでるのは解せない。
たとえば献立がフルーツポンチの場合、フルーツよりも白玉ばかり大量に入っていたり、味噌汁のときにお椀の中身がすり身で埋め尽くされているときの落胆は計り知れない。
なにも考えずによそうと、そんな悲惨な給食になってしまう。
その苦い経験から、とくに苦手意識もなかった食べ物が、嫌いな食べ物ランキングに予期せずランクインしてしまう時もあるため、具材をバランスよく盛りつけることが当番には求められる。
今週の当番たちは優秀のようで、量も均一で、色とりどりの具材が綺麗に盛りつけられていた。
各机に配膳が終わり、当番たちも白衣から着替えて、それぞれ自分の席について合掌をした。
しかし、食べ始めようとした、その時。
ひとりの生徒があっと声を上げた。すると何人かの生徒が呼応するように驚きを口にした。
まるで伝染していくように、初めは微かな囁き声だったものが、確かなざわつきへと変わった。
クラスメイトたちの声の波にもまれながら、カズオは冷や汗を流した。
机の上に置かれたメニューの数々。
その中に、今日の主役、青りんごゼリーの姿がなかった。
不意にざざ、と音が鳴り、教室のスピーカーから、校内放送が流れた。
『緊急事態発生、緊急事態発生、給食室から青りんごゼリーが持ち去られました。
繰り返します、緊急事態発生、青りんごゼリーが何者かによって持ち去られました。生徒は教室で待機してください』
教室内はパニックになった。
失意に暮れて言葉もでない生徒、怒りにまかせて暴れまわる生徒、女子は泣きだした。
収拾がつかない混沌とした教室で、ただひとり、冷静に腕組みをしているものがいた。
「みんな、落ち着け!俺が様子を見に行ってくる!」
担任の嶋田だった。
嶋田は野球部の顧問で、現役の学生に負けないほどの脚力を持つ、顔もそこそこイケメンの教師だった。
教卓に立った嶋田は、よく通る声でクラスひとりひとりの顔を見て力強くそう言ったあと、激しく咳きこんだ。
いつもは頼りになる存在の嶋田だが、最近調子がよくないらしく、マスクを着用していてしきりに咳をしている姿を度々目にしているため皆一様に不安を抱いたが、先ほどの放送によって、生徒は教室待機を言い渡されているため、ここは嶋田に任せるしかなかった。
喧騒が静まったのを確認した嶋田は、胸に当てた右の拳を水平にカズオたちへ向けた。
「必ず、情報をつかんで戻ってくるからな」
嶋田は今にも死にそうなくらい咳きこみながら、引き戸の先へと消えていった。
残された生徒たちは、口々に言った。
「青りんごゼリーがないなんて…これからどうなるんだろう」
「青りんごゼリー、大丈夫かな」
「青りんごゼリー盗んだやつ誰なんだよ」
「青りんごゼリーが危険な目に遭っているって考えると…私…」
カズオは思った。誰か嶋田の体調を気遣ってやれよ、と。
教師がいなくなったことで、教室はまたにわかに騒ぎ始めた。
顔に出さないだけで、カズオも気が気ではなかった。
風邪で欠席した妹の、よしこのために青りんごゼリーを持って帰ると約束したのに。
どこの誰だか知らないが、独り占めするなど、なんて悪質なのだろう。
カズオは犯人に対して、怒りを覚えた。
だがとにかく今は、嶋田によってもたらされる情報を待つしかない。
ぎゅっと握った拳を机の下に隠して、カズオはなんとか耐えていた。
しかし10分経っても20分経っても、30分経っても、嶋田は帰ってこなかった。
時間の経過に合わせて、教室のざわつきはしだいに大きくなっている。
カズオの張りつめたメンタルも、そろそろ限界だった。
歯を食いしばって状況の変化を待つこの時間は、とてつもなく長く感じた。
そこへ、劈くような女性の悲鳴が聞こえた。
カズオははっとして顔を上げた。
教室は、弾かれたように静かになっていた。
このままここにいても埒が明かない。なにがあったのか、自分の目で確かめる必要がある。
張りつめていた糸が切れたことで行動の自由を与えられたカズオは、すっと席を立った。
クラス全員から注がれる視線をもろともせずに、カズオはどんどん歩いていって、引き戸に手をかけた。
勢いよく戸をスライドさせる。
そこに広がっていた光景に、カズオは息を呑んだ。
青りんごゼリーに飢えたものたちが、ゾンビのような動きで徘徊して、手当たり次第に通りがかる人を襲っている。
さっきの悲鳴はこのゾンビの群れに襲われた生徒が発したものだったのだ。
思わず、教室へ引き返そうかと思ったが、ぐっと堪えて自分を鼓舞した。
よしこのために、青りんごゼリーを持って帰る。そう、よしこのために。
カズオは心の中で何度も唱えて、廊下へ出た。
ここから先は命の保証はできない。自分の身は、自分で守るしかない。
カズオは体操服の袖をまくって気合いを入れると、駆け出した。
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