ある日

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ある日

 とある小さな劇場のお笑いライブ。ピン芸人、山中ミキオはトップバッターで出演していた。彼は肩まで伸びる長髪に、がちゃがちゃの歯、丸眼鏡と、特徴的な容貌の30代男性だ。ふだんはサブカル色の強いコントをしている。今日はサブカル好きの客ばかりが集まるライブだから、爆笑をとる自信があった。選んだネタは「卓球教室の先生」。電気グルーヴの石野卓球が卓球教室の先生をする、というコントだ。 「は~い、みんな~。卓球教室の時間がはじまるよ~」  そう呼びかけてネタをはじめ、電気グルーヴの曲を流しながら軽妙なダンスを踊った。結果はややウケだった。  ミキオの前に出ていた女芸人とネタが被ってしまったのだ。しかし、次のネタにつながる気づきもあり、ミキオは満足していた。  そしてライブ終わりに会場から出ると、40代ぐらいの白髪頭の男性に声をかけられた。彼の名前はタチバナ。ミキオの大ファンだ。最初はファンができて嬉しかったのだが、態度や言葉遣いが悪いために、段々と嫌気が差すようになった。 「ミキオさん、お疲れ様です。今日のネタ、すべってはいましたけど、僕は好きでしたよ。ただ出番順が悪かったですね」  タチバナが彼なりの言葉で励ましてきた。 「タチバナさんね~。すべったっていうのは、芸人が自分で言うぶんにはいいけど、ファンが言うことじゃないよ」  ミキオがそう注意したが、どうもタチバナは理解していないようだった。  一体この男、どうしてくれようか……ミキオがそんなことを考えていると、会場から先輩芸人の三輪小太郎が出てきた。  その場に一瞬、不穏な空気が漂った。  タチバナは態度の悪さから、何度も三輪さんに注意されたことがあるのだ。気まずそうな二人を見て、ミキオはある決断をする。タチバナをこの世から消そう、そう考えたのだ。  消すといっても、殺すということではない。殺人は犯罪だ。そんなことはわかっている。だからミキオは、タチバナがはじめからこの世にいなかったことにしよう、と考えたのだ。これは妄想でもなんでもなく、実際ミキオにはその能力があった。  ミキオが自分の特殊能力に気づいたのは、小学生のころ。当時のミキオは、近所に住む女の子にしょっちゅうからかわれていた。そしてある日、我慢の限界に達し、その子を指さし「お前なんか消えろ」と叫んだのだ。  その瞬間、あたり一面が光につつまれた。そして光が落ち着き、周りがよく見えるようになってくると、女の子がその場から消えていたのだった。  はじめは家に帰ったのかな、とも思ったのだが、すぐにその考えが間違いだと気づいた。 「あの子がいなくなった」  友人、知人、先生にそのことを伝えても、女の子の存在自体、だれも知らなかったのだ。驚いたミキオが女の子の家に向かうと、そこにはなにもなく、ただの駐車場になっていた。  ミキオはそこで、自分の特殊能力に気がついた。ずいぶん長い間悩んだが、こんなことを相談できる相手などいるはずもなく、しだいにミキオは考えるのをやめたのだった。それでもこの事件は棘のようにミキオの心に深く刺さり、決して忘れることはなかった。それから長い間、一度も特殊能力を使うことはなかったが、今回再び使うことを決意した。  なにもミキオは、単純な態度や口の悪さだけでタチバナを消そうとしたのではない。タチバナは撮影禁止のライブを撮影したり、口外禁止のイベントを口外したり、ファン同士でもめごとを起こしたりと、ミキオの芸能活動に支障がでてしまうレベルのトラブルメーカーなのだ。来週には単独ライブがある。タチバナはミキオの単独には皆勤で来ていたから、次もきっとくるはずだ、そう考えた。  そして単独ライブの日が訪れた。ネタ中ずっとタチバナのことを考えていたものだから、当然満足のいく出来ではなかった。しかも、より悪いことに、その日のライブにタチバナは来なかったのだ。  どこか別のライブにでも行っているのかもしれないな。そんなことを考えながら会場から出ると、スーツ姿の男性に呼び止められた。 「失礼します。わたしはこういう者なのですが、ちょっとお話を伺ってよろしいですか?」  男性がそう言いながら、ミキオに名刺を差し出した。そこには「太田興信所 所員 田中茂」と書かれていた。 「興信所の……所員さん? 私になにか御用ですか」 「御用というより、お願いがありまして。わたくし、タチバナさんという人を、ある方の依頼により探しています。タチバナさんは、よくライブに来られるのですか?」 「ああ、タチバナさんなら確かによく来るけど、今日はいませんよ。ほかの芸人のライブにでも行ってるんじゃないですか?」 「そう……でしたか。ご協力ありがとうございます。もしかしたらまた伺うことがあるかもしれませんが、その際はよろしくお願いいたします」  興信所の所員は、そう言い残してその場を立ち去った。ミキオもまた、会場をあとにした。  単独ライブを終えてからのミキオは、放心状態の日々だった。なにしろ一年で一番力の入れているライブだったのだ、しょうがない。  単独ライブが終わっても、タチバナがミキオのライブに来ることはなかった。そのためミキオは、悠々自適の日々を送っていた。  そんなある日。デレゲンボール亭というライブに出た時に、三輪からある話をされた。 「なあ、ミキオ、ちょっとええか」 「三輪さん、どうしたんですか?」 「いや、あんな、お前に痛いファンがおるやろ。そいつがなー、昨日の俺らの単独ライブにきよったんよ」 「えー。タチバナの奴、最近僕のライブにこないと思ったら、三輪さんのライブに通ってたんですね」 「うん、で、まあ来てくれるのはええんやけど、ネタ中舌打ちがうるさくて、ほかの客の迷惑にもなるから、次もおんなじことがあったら出入り禁止にするつもりや。お前もきいつけや」  三輪はそう言い残し、その場を立ち去った。  先輩にまで迷惑をかけて申し訳ないな、なんてことを考えていると、ミキオの携帯に見知らぬ番号から電話がかかってきた。電話の相手は病院の職員で、ミキオの母が肺炎で入院することになった、との連絡だった。それを聞いたミキオは、入院用具一式を準備し、病院に向かった。  なにわ病院は、中央区にある大きな病院だ。母のかかりつけで、以前別の病気で入院したこともある。今回は症状が軽度なため、1~2週間程度で退院する見込みらしい。 「母さん、起きてるか? 入院用具を持ってきたで」  大部屋の一角にあるベッドまで行くと、中にいるであろう母に向かってそう呼びかけた。母はすぐさまカーテンをあけて、笑顔でミキオを迎え入れた。 「ありがとうねえ。急に入院が決まってしまったもんやから、なんにも用意してなかってん」  ミキオの母、山中クミコが申し訳なさそうに話した。 「気にせんでええよ、家族なんやから。いつでも頼りたい時は頼ってや」  ミキオはそう言って、クミコを励ました。もう還暦を過ぎた母である。入院することなど何度もあったし、ミキオにとっても慣れっこなのだ。 「ありがとうねえ。子どもからそんなに愛されて、私は幸せもんや」  そう言ったクミコの目からは涙がこぼれた。クミコがベッド上で涙を拭う仕草をしたところ、はずみでテーブルにおいていた写真立てを倒してしまった。ミキオはすぐにそれを直すと、写真立てに入っていた懐かしい写真が、彼の目に留まった。 「あれ。こんな昔の写真、今でも持ってたんや」  それは一家総出で花見にいった時、母とミキオが桜の木の下で撮った写真だった。ミキオが真ん中に、母は右隣りに座っている。そして一緒になって笑っている。その瞬間をとらえた一枚だ。 「よく撮れた写真やからねえ。お気に入りなんよ」 「ふーん。そんなに気に入ってくれて嬉しいわ。……じゃあ、もうそろそろバイトの時間やから、俺は出るわな。なんかあったらすぐに電話してや」  母にそう伝え、ミキオは病室をあとにした。  ミキオが病院の入り口へ向かう途中、行き交う人々の中に見覚えのある顔を見た気がした、が、すぐに人混みに紛れて、誰が誰だか分からなくなった。たぶん気のせいだろうな、と思い、ミキオはそのまま病院から出た。  次の日、ミキオは三輪が主催しているライブに出演していた。このライブは、三輪がツナマヨ佐野というピン芸人と定期開催している。 「いや~、最近母が入院したんですけども」  その日はちょうど母の見舞いに行った日だったため、ライブのオープニングトーク当然家族のこともネタにした。 「え、ほんまか? お母さん大丈夫なん?」 「ちょっと肺を悪くしてまいましてね……でも大丈夫ですよ、そんなに重症ではないようやから。1~2週間ぐらいで帰ってくるらしい」  このライブはミキオにとってホームなので、家族のプライバシーまでぺらぺら喋ってしまった。客のウケもよかった。しかし、どれだけウケても素直には喜べず、内心別のことを考えていた。なぜなら、タチバナが最前列のど真ん中に座っていたからだ。このライブが終わったら全てを終わらせよう、そんなことを考えながら、ミキオはその日のライブをどうにかやり過ごした。  イベント終演後、ミキオは会場の出口へと向かった。タチバナが出待ちしているのを見越してのことだった。 「ミキオさん、今日のネタは最高でしたよー」  ミキオの予想どおり、タチバナがニコニコと話しかけてきた。タチバナの屈託のない笑顔を見ながら、ついにこいつともおさらばか、と、ミキオはそんなことを考えていた。  ミキオは真顔でタチバナを指差した。それまでニコニコしていたタチバナの表情が急にこわばった。そしてミキオは口を開き、大声で叫んだ。 「お前なんか消えてしまえ!」  その時である。先輩芸人の三輪さんが急にタチバナを押しのけ、割って入ってきた。 「おいお前、おれのネタ中ずっと舌打ちしとったな!」  タチバナを注意するつもりだったのだろう。三輪がタチバナに怒鳴った。しかし、タイミングが悪すぎた。  次の瞬間、あたり一面が光につつまれた。そして光が落ち着き、周りがよく見えるようになってくると、その場から消えていたのだった。タチバナでなく、三輪が。 「そんな……うそだ……うそだ……」  ミキオがぼそっと呟いた。彼は呆然としていた。一方タチバナはきょとんとしている。おそらく三輪のことなど覚えてもいないはずだから、当然の反応だろう。  もはやミキオには、タチバナを消す気力も残っていなかった。  呆然と立ち尽くすミキオを気に留めながらも、その場から立ち去ろうとしたタチバナに対して、急にスーツ姿の男性が話しかけてきた。 「失礼します、わたしはこういうものです」  男性が名刺をタチバナに差し出した。先日ミキオを訪ねてきた、興信所の所員である。 「タチバナさん。あなたは昔、茶道教室の先生をされていましたね? その頃の生徒さんが、あなたを探しているのですよ。会っていただけますね?」  所員がタチバナに問いかけた。タチバナは一瞬うろたえた表情を浮かべた、が、最終的には首を縦に振った。  二人のやり取りを見ながらミキオは、こんな奴でも会いたいと思う人がいるんだな、となんとも言えない気持ちになっていた。どうせまたライブに来るだろうから、今回はタチバナをそのまま探偵に引き渡そう、と考えながら、ミキオはその場から立ち去った。  ミキオの母、山中クミコは、病室で人を待っていた。興信所に捜索を依頼していた人物だ。その人は、昔お世話になった茶道教室の先生だった。  彼女は高校時代からずっと茶道を続けていた。ミキオの父と出会ったのも、茶道教室がきっかけだ。そこの先生が、ある日忽然と姿を消したのだ。どうやら家庭でトラブルが起こったらしい、という噂が流れてきたものの、真偽の確認をするすべもなく、教室の運営は新任の先生に引き継がれたのだった。  それから長い年月が経過し、当時通っていた茶道教室の生徒たちの間で先生に会いたい、という話になり、興信所に捜索を依頼することになったのだ。 「山中クミコさん、いらっしゃいますか? 太田興信所の田中です。タチバナさんを連れて参りました」 「どうぞどうぞ、入ってきてください」  クミコがそう呼びかけた。そしてカーテンが開くと、見覚えのある顔がクミコの目に飛び込んできた。 「おひさしぶりですね、先生」  クミコがタチバナに話しかけた。彼女の目には涙が浮かんでいた。そして二人に面識があることを確認した興信所の所員は、静かにその場から立ち去った。 「あ、ああ。僕のような人間を探していてくれるなんて、思いもしなかったよ。ありがたいし、もうしわけない。君も聞いているかもしれないが、僕は以前大きな借金をしてしまってね。そこから逃げているうちに、その日ぐらしの生活になってしまった。親からも縁を切られたし、友人・知人とも疎遠になった。それがこんなに探してくれるなんて……」  そういいながら、タチバナがわなわなと声をふるえて泣き出した。  大の大人が泣くところにあまり遭遇したことがなかったため、クミコがなすすべもなくおろおろしていると、「母さん、入るよ」と、カーテンの外から声がした。 「あら、そういえば息子がくることになっていんだったわ。忘れるところだった」  クミコはそう呟き、カーテンをあけた。 「母さん、体調は大丈夫?」  ミキオが笑顔でクミコに話しかけてきた、が、そのにこやかな表情もすぐに曇った。なぜなら、ベッドサイドにたたずむタチバナの姿を見たからだ。 「どういうことだ……なんであんたがここにいる?」  怒りを抑えきれない様子で、ミキオがタチバナに問いかけた。タチバナはまだ状況を飲み込めていない様子で、なにも答えずにうろたえていた。 「どういうこと? あなたたち、面識あるの?」  クミコが驚いてミキオに尋ねた。 「ああ、母さん。こいつはね、僕のライブによくくる迷惑な客なんだ。まさか知り合いなの?」 「え、そうだったのね。タチバナさんはね、茶道教室の先生よ。母さんが昔教わっていたの。お父さんと知り合ったのも、タチバナさんの紹介よ」  どうやら状況を飲み込めたようで、タチバナがとうとう口を開いた。 「まさかミキオさんが生徒の子どもだったとはね。そんな人に迷惑をかけるわけにもいかない。もうあなたのライブには行かないよ」  タチバナが申し訳なさそうに言ったが、その言動がむしろミキオの癇に障った。 「ふざけんな……迷惑をかけるわけにはいかないだと!? じゃあ迷惑をかけていたことは自覚していたってことか。ふざけんなよ……ふざけんな」  そうしてミキオは決断した。  ミキオは真顔でタチバナを指差した。それを見たタチバナの表情が急にこわばった。そしてミキオは口を開き、大声で叫んだ。 「お前なんか消えてしまえ!」  その瞬間、あたり一面が光につつまれた。そして光が落ち着き、周りがよく見えるようになってくると、その場から消えていたのだった。タチバナと、ミキオの二人が。 「あら、いままで私、なにをしていたのかしら。誰かと会っていたような気がするのだけれど」  鈴木クミコがそう呟いた。これまでのミキオやタチバナとのやり取りは、当然覚えていない。 「私はどうして、こんな写真を大事にしていたのかしら」  クミコはそう言って、テーブル上の写真立てを見つめた。そこには彼女のお気に入りの写真が飾られていた。それは一家総出で花見に行った時。そこには美しい桜の木の下で、底抜けに明るく笑うクミコが、たった一人で写っていたのだった。
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