僕が知らない日本

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僕が知らない日本

 たちの悪い冗談をしかけられたと腹を立てて、僕はT中女医を睨みつけた。  ところが、彼女は全く動じない。とても信じられないことだが、この奇妙な状況は冗談などではなく、彼女は真剣そのものなのだ。  僕はじりじりと後ずさりをすると、踵を返して病室を飛び出そうとした。しかしながら廊下へ通じる引き戸を開いたとたん、僕は言葉を失ってしまった。引き戸の外に広がった景色は、どこにでもあるような病院の廊下ではなかったからだ。  目の前に広がる廊下は、白銀色で繋ぎ目のない材質のものでできていた。そして一歩足を踏み出すと、柔らかな絨毯に足がめり込むような感触があった。  また、同じような材質で作られた壁には一つの窓もなかった。床から天井までが一体となるようにアーチを描いていて、まるで巨大な茶筒の内側にいるようだ。  僕が呆気にとられていると、廊下に立っていた男性たちが、何か聞き取れない言葉で怒鳴りながら近づいてきた。 「な、何だ、君たちは!」  僕は、男たちの脇をすり抜けて逃げ出そうとした。ところが彼らは僕を取り囲むと、乱暴に腕をつかんで病室の中に押し戻した。男たちの役目は、僕をここから出さないように見張るものだった。 「ここから出ない方が安全ですわよ」  僕の背中に、T中女医の言葉が投げかけられた。彼女は僕を病室に引き戻すと、引き戸をぴしゃりと閉めてしまった。 「僕は…捕らわれているのですか?」  おそるおそる問いかけると、女医は「いいえ」と首を振った。 「ここは外国なのですか?」 「いいえ、それは違います。ここは日本です」 「しかし……。彼らの言葉は日本語ではなかった」 「そう聞こえるのも当然です。あなたが使う日本語と、私たちが使う日本語は違う言語なのですから。それでも注意して聞いていただければ、わりに近い部分もあるのですよ」 「やめてください! おかしなことを言わないでください……」  僕は頭を抱え込んだ。 「いたずらに騒がない方が身のためですわ。今、あなたが置かれている状態は拘束ではありません。保護なのですから」 「保護……ですって?」 「はい。保護です」  T中女医は、冷ややかで抑揚のない口調で返事をした。 「私たちは、あなたを保護しているのです。残念ながら私たちの世界には、あなたのように誤ってこちら側に来てしまった人を、強制的に処理しようと考えている人たちも存在します。もしもここを逃げ出したとしても、その先で運悪くそういう人たちに捕らえられてしまったら、その先は恐ろしいことになってしまいます」  T中女医は、「落ち着いてくださいね」と念を押すと、僕に椅子を勧めた。おとなしく言葉に従うと、女医は微笑を浮かべた。 「あ、あなた方は何者です?」  僕は震える声で尋ねた。 「私? 私はT中という女医です。自己紹介は済ませたはずですが」 「いえ、そういう意味ではなくて…。僕はここがどこで、あなた方が何者かを知りたいのです。ここは、少なくとも僕が知っている日本じゃない!」
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