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サヨナラ
「うわっ、あっ!」
天と地がひっくり返ったと思った瞬間に、目から火花が出た。転んだ拍子に頭を打ったのか、後頭部がひどく痛い。
「せんせー、大丈夫?」
聞き覚えのある生徒たちの声がした。おそるおそる目を開けると、抜けるように青い空が見えた。受け持ちの子供たちが、突然倒れた僕を心配して、囲むようにして覗き込んでいた。
「こ、ここは、どこ?」
「帰りの山道だよ。大丈夫か? 転んで頭を打ったみたいだぞ」
先輩教師が駆けつけてきてくれた。礼を言って立ち上がると、彼は「後で保健室に行っとけ。子供に心配かけるなよ」と言って笑った。
僕は自分の世界へ戻ってきていた。
「びっくりさせてごめんなぁ。先生、転んじゃったよぉ」
おどけた調子で笑って見せると、生徒たちも一斉に笑った。頭を掻きながら周囲を見回すと、ひどく心配そうな表情をしたU崎J子と目が合った。
「大丈夫、OKだよ」
指で輪を作って見せてやった。するとU崎J子も笑顔になった。
「おいで。今度はちゃんと手を繋ごう。先生を学校まで連れて行ってくれないか」
僕が手を差し出すと、U崎J子はうつむいて下唇を噛んだ。それでももう一度呼びかけると、U崎J子は僕の手を握り返してきた。白くて柔らかい、小さな女の子の手だ。
U崎J子に最後の挨拶をさせ、生徒を学校から送り出したあと、僕は保健室を訪れた。するとそこには、常駐の保険医ではなくT中女医がいた。
女医は僕に椅子を勧めると、湯呑に白湯を入れて差し出した。その隣には小さなカプセルが置いてあった。
「お約束のお薬です」
「記憶移植というやつですね。これを飲めば、今日の僕の記憶は消える。そして僕が今後の人生ですること全部、あなた方に筒抜けになる。ふとしたきっかけで、あなた方の存在を思い出さないように……」
「こちら側の秘密を守るためです。それは私たちが、あなた側の世界に干渉しないことに繋がります」
「U崎J子に、やり直しのチャンスをいただけて、ありがとうございました」
「とんでもない。お礼を言わないといけないのは、私たちの方ですわ」
僕はカプセルを飲んだ。窓の外を見ると、空が茜色に変化していた。素直な気持ちで、僕はそれを美しいと感じた。
終わり
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