いなくなったあの子

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あの子はいつも私の側にいてくれた。 兄妹がいない私は一人でいる事が多かったが、その優しい笑顔で私を包み込むようにいてくれたから寂しくはなかった。 特にあの子と一緒に絵を描いている時間が大好きだった。 自分の好きな色で好きなように描く。 動物や植物、実物とは全然似ていなくても絵を描くことそのものがたまらなく好きだった。 時間を忘れるほどに。 そしてどんな絵を描いてもあの子はいつも喜んでくれた。 その喜んだあの子を見て私も嬉しくなった。 けれど小学校に上がる頃から、少しずつあの子と会う時間が少なくなっていった。 原因は私の両親が毎日のように喧嘩をしていたからだと思う。 朝、顔合わせれば昨晩の揉め事の続きを言い合い、夜も帰ってくればまた同じように言い合いをしていた。 夜の酒の入った口論は特に酷かった。 私はその声から逃げるように、二階の自分の部屋でベットに潜った。 何をしゃべっているのか、どちらが話しているのか、下から聞こえる鈍い濁った声が聞こえないように耳を蓋をするようにして蹲っていた 私ににはどうして両親が毎日こんなにも傷つけ会うのかがわからなかった。 何が原因なのかわからなかった。 それでも私が少しでも楽しそうにしていれば二人はそこからだんだん笑顔を取りもどせるのではと思った。 だから良い子だと思ってもらえるように嫌いなだった野菜も食べるようにした。 洗濯してもらった自分の服は自分で畳んだ。 一生懸命勉強して良い成績をとったり、いつも二人の顔を見て、話す言葉のトーンを気にして何を望んでいるのかに全神経集中していた。 まるでそれが私の使命かのように。 けれど両親の関係は変わらなかった。 私が良い子じゃないから二人は毎日喧嘩してるんだと考える度に、あの子はそんなことはないと私をかばってくれた。 だけどあの子の言っていることは嘘だった。 いつからか父が些細なことで私を叩くようになった。 返事が小さい、目つきが気に入らないと。 母も私を怒りと悲しみが混じった目で 私を睨むようになった。 私はわからなくなった。 私がなんなのかと。 そしてあんなに大好きだった、あの子の心が落ち着く優しい声が聞きたくなくなった。 その声が優しく暖かいほど自分が傷つくからだ。 やっぱり私が原因だったんだ。 私が悪いんだ。 私がいるのがいけないんだ。 だから二人は私を傷つけるんだ。 それなのになのにあの子が余計な事を私に言うから、こんなに辛いんだ。 このままだと自分がおかしくなる。 何度も自分の内側の鏡を叩いて壊して、けれどまた一生懸命に戻して。 また叩いて壊す繰り返し。 自分で自分の感情がわからなくなる。 私がこのままだと本当に自分が壊れてしまう。 私はあの子と一緒に居ることを避けるようにした。 あの子は変わらず優しく微笑んで見つめていたけど私は無視するようになった。 遠くに見かけた時も私は見てみないふりをした。 そしてあの子がどこにもいなくなったのは、中学に上がる少し前、ちょうど両親が離婚した頃だった 私は母と二人で暮らすことになった。 父が出ていった家は今までと変わらない生活が繰り返しあった。 でもそこには母と二人でいるだけなのに押しつぶされる重い静寂があった。 母は私の言動に事細かく口を出すことが増えた。 よく言えば見守っていると言えるのかもしれないが、とてもそんな気持ちにはなれなかった。 監視状態に近かった。 それから私は周りの景色があまりよく見えなくなっていった。 ボヤけるとは違う。 色彩がよくわからなくなっていった。 でも母には言わなかった。 心配すると思ったから。 しばらく経って耳も悪くなっていった。 周りの音が聞き取りずらくなった。 人の声がよく聞こえなくなっていった。 でも母には言わなかった。 怒られると思ったから。 そんな状態が長い間続いた。 そういった世界が当たり前と思うほどに。 高校に入ってからもあまり生活は変わらなかった。 何かを周りに期待することは間違っているし、自分自身もに期待することが間違っている。 結果的に期待する事はその代償として期待の分、より傷つく。 何も期待もしなかった時よりも。 いつからだろう。 私は自分のことが好きになれなくなったのは。 信じることができなくなっていったのは。 高校3年の夏休みに入る前、進路希望のプリントを提出する際、ほとんんどのクラスメイトが大学進学を希望していた。 私は家の事情もあり進学は難しいと思っていたので、どこでもいいから就職を考えていた。 ただどこかに何か引っかかっていた。 夏休み中、ふと自分の部屋の掃除をしていると押入れの奥から見覚えのある懐かしい白い箱を見つけた。 小さい時、一人で絵を描いて遊んでいた道具が一式入っている箱。 箱を開けて中に入っていた色々描かれた画用紙や使いかけのクレヨン、真ん中で折れたクーピーを懐かしく眺めていた。 でも次の瞬間 私は自分の内側に、静かに海に沈んでいくように周りの明るさが消えていき暗く冷たく圧迫が強くなっていくのを感じた。 もうここが底だろうか。 これ以上落ちていかないと思うところであの子がいた。 高鳴る鼓動を抑えながら少しづつあの子に近ずいていく。 あの子のところまで来た私はただ見つめることしかできない。 けれどあの子は私をずっと待っていたかのように、あの優しい笑顔で私見つめていた。 「ずっと一緒にいてくれてたんだ」 あの子はいなくなったのではなかったんだと。 今までもずっと私と一緒にいてくれた。 私を待っててくれたんだと。 「ごめんね」そう伝えようとするする瞬間、あの子は私の手を優しく握った。 そう、ずっと忘れていたあの子というもう一人の私 『本当の私』 そう気づいた時、震えるほどの暖かさが体の中心から溢れ出ていた。 それは涙となり声となり私は泣き叫んでいた。 「ごめんね ごめんね ごめんね」 あの子は何も言わず、ただまんべんの笑顔で私を強く抱きしめてくれていた。 そしてまたあの子は目の前からいなくなった。 でももう私は知っている。 あの子はいなくなったのではない。 私の中にいつもいてくれてる事を。 そしてこれから本当の私と生きてく事を。
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