13人が本棚に入れています
本棚に追加
prologue
仕事から帰ってきた部屋は、ぬくもりが薄れている気がした。
家具家電や生活用品がなくなったわけではない。リビングを抜けた部屋を見渡してもなにひとつ代わり映えはない。
なかったのは「おかえり」の声だけ。
二人とも働いているから珍しいことじゃない。なのに予感めいたものは胸をざわつかせて、テーブルに置かれたふたつの紙がそれを裏づける。
-さがしものが、見つかりました-
たった一行の文字列が、心の穴を広げていった。
さよならもお別れも書いていない。けれど付き合う日数が増すごとに、毎朝、彼女の「おはよう」はどこか寂しげに映ってもいた。婚姻届を役所に持っていくと言ってこの状況だ。さがしものが『モノ』か『人』かはわからないけど、もう戻って来ることはないだろう。
呆然としながらたんすを開けると、きれいに右半分だけがからっぽになっていた。衣類は全部持っていったらしい。共用で使っていたものはそのままになっていて、彼女と割り勘で買ったコーヒーメーカやゲーム機は目に見える場所に置いてある。
部屋の壁に背を預けたとき、反対側の壁に寄りかかっている存在が目に入った。彼女が持ってきたアコースティックギターだ。楽器なんかできなさそうな顔をしてるくせに、ギターを持たせたら他人を圧倒し、魅了をもする腕前を時折披露してくれた。
再びテーブルへと戻った俺は、シンプルなメッセージに目を落とす。
巣立って行ったという解釈で間違いはないだろう。胸を締めつける現実に目を背けようが過ぎた時間は戻らない。
色んな意味で不思議な女性だった。だからこそ一緒にいて心地よかった。
最後までミステリアスを演じる君に、心の中で問いただしたい。
なんで同じ文面の手紙、二通も書いちゃったの?
最初のコメントを投稿しよう!