prologue

2/4
13人が本棚に入れています
本棚に追加
/8ページ
 思えば、SEという肩書きに夢を乗せていたなと、今になって思う。  納品というミスをひとつも許されず、そのプレッシャーと常に戦い、システムが完成すればまたすぐに次の製作へととりかかって会社の歯車となり続ける。おしゃれなオフィスでノートパソコン片手に理知的なミーティングをこなし、スマートに仕事をする。  入社前に描いていたインテリ層とイコールにしていたSEという仕事は、そんな華やかさとは無縁の体力と忍耐で生きる世界だ。納期前ともなれば帰るのは早くて終電。否、帰れるだけまだいい。椅子を並べて寝る、段ボールを敷いて床に寝転がり、ひとときの睡眠がとれるだけ幸せな方だろう。  委託会社からサブシステムの納品に見込みがたったことで、週末の金曜日、俺はプレミアムという言葉をかみしめて終電の電車を降りた。疲労困憊、夕飯はまだなのにさほど食欲もない。単純に元気がないとも言える。ただ、改札を抜けて駅前の公園へと向かう足は不思議と重くはない。  目当ての女性は、今日も熱唱していた。川本真琴の愛の才能をかわいい声で勢い任せに歌いながら、流れるように指先を器用に動かして道行く人を足止めしている。  劇的に上手いわけでも、心を奪われる歌声というわけでもない。  それなのに、彼女の小躍りするような歌声を聴くと、元気が少し出てくる。もうちょっと頑張ろうという気になれる。歌っているときは堂々としているのに、カンパすると照れくさそうに俯くギャップが可愛くもあった。はじめて聴いたときは生活に困ってるのかなと半ば同情してカンパしたけど、気づけば終電に間に合う度にこの公園へと俺は通い続けている。  無言でカンパしたのがはじまりで、回数を重ねるごとに「ありがとう」の言葉が生まれ、最近になって二言三言の短い会話を交わすようになった。お互い名前も連絡先も知らない、言うなれば赤の他人で、明日にでも二度と会わなくなる存在かもしれない。  続けて何曲か弾き続けた彼女は、今日に限って何度かコードを弾き間違えていた。オリジナルの曲だから常連でないと間違いであることすら気づかない。てへっと苦笑していつになくフリートークの手数を多くする彼女の姿からして、大いに心当たりがあるんだろう。  本日最後の一曲を終えて、ギャラリーから拍手が起こり、各々が自由にカンパの箱にお金を入れる。景気よく「どうも」と挨拶して手を振る彼女は、いつになくテンションが高い。他の客がいなくなってから、一番最後に俺は内ポケットから財布を取り出す。  いつもは俺の方からカンパの箱まで歩いていた。当然だ。カンパの箱を手にギャラリーへと近づいてお金をせびるがめつい路上ライブなんか聞いたことがない。  聞いたことはないが、たった今、見た。ギターを持ったまま駆け寄り、瞳を大きく広げた彼女を。  瞳は、揺れていた。  さっきまでの軽快なフリートークが嘘のように、言葉はなく、ただ、じっと俺を見上げている。何かあったんだろうか?触れていいものなんだろうか?どう接すればいいか困惑した俺は、目に入ったギターを見てとっさに呟いた。  「俺もそんぐらい弾いてみたいな」
/8ページ

最初のコメントを投稿しよう!