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道すがら上機嫌に鼻歌を歌う彼女と歩くこと数分、マンションに着くと俺は二重ロックの方法を伝えた。せっかくのレクチャに「ふーん」と彼女は興味なさげだ。
「わかった?」「わかったわかった」「じゃあ、ごゆっくり」
閉めようとした扉に足を挟んだ彼女はむすっとしていた。
「いっこだけ条件」
数分前に聞いた言葉を再度持ち出すと、咳払いした彼女の腕が扉を外へと押し出す。
「君もこの恵まれた環境を享受したまえ。これが私の条件」
今度は俺が呆気にとられた。せっかく用意したセキュリティを自ら放棄するとは夢にも思わなかった。
「あのさ……君、女の子だろ」
「そうだよ」
「そうだよ、じゃないよ。間違いを起こさないようにしましょって言ってんの。俺、一応男」
「その時はその時じゃん。ああ、私を女として見る人いたんだって潔く諦める。さあ、あがったあがった」
もはやどちらの自宅なのか。気が進まないながらも、やっぱり熱帯夜に躊躇した俺は扉の片方を施錠してリビングへと招待する。
空調を全開にして、ひとまず彼女に座ってくれと促した。その間にテーブルに乗せていたものをいそいそ片付けて水拭きする。
なんとか来客向けの体になったテーブルをスペースラグの真ん中に寄せて「お待たせ」の声かけをしたとき、置かれた夕飯を見た彼女の目は輝きを放った。ついでに冷蔵庫からおつまみをありったけ運ぶと、いよいよ彼女のテンションは天井を突破した。
「ここ天国だよね?こんな幸せあっていいの?」
「人命救助は尊いんだよ。こんなあまりものでよかったらいただいてくれ」
いただきますよりも先に、千手観音もドン引きの動きで彼女はおつまみを次々口に放り込んでいった。おにぎりひとつしか買ってないからてっきり少食派だと思ってたけど、お金がなかったが故の選択だったようだ。
「ほんっとありがと!ここ三日ろくにごはん食べてなくて」
もぐもぐしながら彼女ははっと目を開いた。慌てて発泡酒のプルタブを引いて乾杯を示そうとする可愛らしさに、思わず苦笑しながら俺も缶チューハイを開ける。
「運命の出会いに乾杯!」
おつまみは運命を呼び込んだ。なんとも大げさな音頭だけど、この明るい雰囲気はありがたくもある。
自己紹介を兼ねて、俺も彼女もお互いの身の上を話すことにした。
大学生だった彼女はある日、家業が倒産して帰宅したら実家はもぬけの殻だった。唯一残っていたのが背負っているギターで、住み込みで働いていたジャズレストランで先輩からギターを習った。
そのレストランも店主が夜逃げして、現在は路上ライブで身銭を稼ぎながらネットカフェを転々としているそうだ。不幸の女神に愛されたとしか思えない境遇なのに、語る彼女は平気な顔を通り越して楽しげにすら映る。
一方の俺は平凡な会社員だ。大学を卒業してIT企業に入社してからはブラックを塗り重ねた社畜人生。久々に土日が連休になった金曜日の終電着、泥のように眠ろうと決めていた帰り道だったのに、ドラマティック過ぎた展開は眠気をどこかへ吹き飛ばしてしまった。
お互いの身の上を明かしたところでカーテンの隙間から朝陽の光が差し込んできた。就寝の頃合いかなと思った俺は、布団一式を取り出そうと押し入れに近づく。
「タオルケット、まだ洗濯してないでしょ?喘息起こすとよくないから夏布団にしときなよ」
心臓に電気が走って、思わず両目が真開いた。自分が使う分だし……そうじゃない。なんで初対面の君がそれを知ってるんだ。振り返った先で最後の一滴を飲み干した彼女はふふふ、と得意顔でいる。
「白状しちゃうけどさ、全部知ってるんだ。私」
「全部って……なにがだよ」
「うーん。そうだねえ、一言でいうと」
「言うと?」
「未来」
「は?」
救世主にストーカー疑惑が生まれた結果、未来人を名乗りだした。
「ふふ、信じてないね」
「当然な」
その答え、待ってましたと言わんばかりに彼女は人差し指を立てる。
「ならば望むところ。これから起こることを予言したげる」
その未来人によるところの予言は次の通りだ。
・そのうち、台所の上部収納の扉が壊れて落ちてくる
・来週、お得意様への出向を言い渡される
なんとも私的な未来予想図だ。信用のかけらも生まれない。
「だから注意してね」
言うなり彼女はベッドにダイブして、掛け布団をまとって嬉しそうにごろごろする。
「未来人を名乗るなら経済とか災害とか、もっとダイナミックな予言だろ」
「君にとってはどれもダイナミックになると思うよ。でもダイナミック……ねえ」
頬杖の姿勢で天井を見上げていた彼女は「そういえば」と目線を僕へと戻す。
「洗濯機、接触不良じゃない?」
もしかすると、やって来たのは災悪の魔術師かもしれない。
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