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いなくなったあの子。
あの子がいなくなった。
亡骸さえ、戻ってこなかった。
くわえ煙草の先端に火を点けて、男は美味そうに煙を燻らせた。
「悪いな、ホリィ」
そんなセリフに、私は首を振った。まだ銃身に熱を持ったハンドガンをホルスターに収めつつ、視線を彼に移す。
「いえ、気にしないでください。クラウスさんとのこういう時間、好きですから」
「お、そうかい」
こちらをじっと見つめていたクラウスさんは、少しだけ笑った。
任務が終わると、彼はいつも煙草に火を点けた。私は、クラウスさんの満足そうなこの表情と、充満した血の匂いをかき消していく煙草の香りが好きだった。
私も、にこと笑い返した。
「いいコだ」
煙草をはさんでいない方の左手が、真横から私の頭に伸びる。ちょっと武骨な大きな手で、ぽふぽふとなでられる感覚が心地いい。
されるがままの私に、クラウスさんは何気ない調子で言葉を続けた。
「おじさんとしてはさ。キミみたいないいコには、なにかしてやりたいわけよ」
そんなことを言ってもらえるなんて、思ってもみなかった。
きょとんとした私の髪を、クラウスさんはするりと指先ですいた。するりするりと、感触を確かめるように丁寧に何度も指を通す。
私は、ちょっとだけ首を傾げた。
「充分、良くしてもらってますよ?」
「ちっとも足りてなくないか……? 俺も、キミの使い方が雑だってことは自覚してるつもりだぜ?」
そう言って、クラウスさんは私の首に巻かれた包帯にそっと触れた。今回の任務で、負った怪我だった。
私は、ぶんぶんと手を振った。
「そんなことないです。こういうのは、私の能力不足ですから」
このくらいの軽傷で済んだのなら、結果は上々だ。作戦の内容が危険なのは、最初からわかりきっているのだから。毎度怪我するからといって、クラウスさんの指示が悪いなんて絶対に思わない。
だけど、クラウスさんは困ったように苦笑した。そして、煙草の煙を吐くと、私の頭をわしわしとなでる。
私は、目をぱちくりとさせた。
「ク、クラウスさん……??」
「キミは、よくやってくれてる。だから、俺が勝手になにかしてやりてーの」
「……ありがとう、ございます」
本当に、この人には敵わない。こんなふうに言われたら、ついつい甘えたくなってしまう。
クラウスさんは、いたずらが成功した子供のような顔でニと笑った。
「ってわけで、欲しいものはあるかい?」
「欲しいもの、ですか」
「やってほしいことでもいい。まあ、俺のできる範囲でな」
「なんでも、いいんですか?」
「言ってみな」
含みのあるクラウスさんの表情に、かえって素直にさせられる。いつもだったら思いつきもしないお願いごとが、すっと私の口をついて出た。
「抱きついても、いいですか?」
言ったことに気づいて、内心は自分でも驚いていた。クラウスさんは、ほんの少しだけ意外そうにする。
「ん……? そんなことでいいのか」
この人のことだ。きっと、どんな無理難題も、私がいうならと叶えてくれるつもりだったんだろう。
ふふと笑って、こくりとうなずいた。彼は、わかったとささやいた。
深めに煙を吐いたクラウスさんは、携帯灰皿に吸殻を押し込んだ。そして、私に向き直ると、柔らかく微笑する、
「おいで」
ただただ優しい声と瞳で、私を呼んだ。それだけでも、幸せな気分になった。
腕を広げたクラウスさんに近づいて、私は遠慮がちに手を伸ばす。彼の腰にそっと抱きつけば、私の頭と背中を支えるようにぎゅっと抱いてくれた。
ふと鼻をくすぐったのは、かすかに甘くスパイシーな香水の香り。それらは煙草の香りとマリアージュを起こして、私の頭の中をじんわりと侵していく。
上質なシャツの感触と、伝わるクラウスさんの体温が心地良い。思わず、彼の胸に頬をすり寄せれば、あやすように背中をなでてくれた。
「大丈夫だ」
「ん……」
私は夢心地で、ほとんど無意識に返事をしていた。
「ホリィ。キミには、俺がついてる」
「……はい」
「キミなら、大丈夫だ」
誠実なその言葉に、心の奥底に隠れていた不安が溶けていくのがわかった。
この人が『大丈夫』と言うなら、大丈夫。根拠のない、だけど、私にとってはなによりも確かな真実だった。
「ありがとうございます。クラウスさん」
吹っ切れたように笑えば、微笑したクラウスさんはもう一度頭をなでてくれた。
「このくらい、おやすいご用だ。今度の単独任務、成功を祈ってるよ」
「はい……! 頑張ってきます」
「いいコだ」
クラウスさんは新しい煙草をくわえつつ、口の端でふっと笑った。
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