歪な伝言ゲーム

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歪な伝言ゲーム

「そりゃあ……。あそこで抱き着いたのは、ちょ―――っと不味かったとは思ってるけど―――……」  詩依良とユウに「沙耶の自業自得だ」と言い渡されているにも関わらず、沙耶の愚痴は収まる気配を見せない。  もっとも。  元来、愚痴というものはそういったものなのかも知れないのだが。 「でもでも! 友達が転校しなくて良いって分かったら……誰だって嬉しいよね!? 思わず抱き着いちゃうよね!?」  そっぽを向いている詩依良にではなく、沙耶はユウにグイグイと迫り同意を求めた。 「は……はぁ……」  それに対するユウの答えは、どうにも曖昧でハッキリとはしない。  それもそのはずで、ユウは未だにこの世へ生れ落ちて数か月……。  知らない事の方がまだまだ多く、沙耶の質問に明確な可否を突きつけるほどの経験など無いのだ。  ましてや沙耶は、ユウの守護すべき主である。  そんな沙耶に同意を求められては、それが例え誤りであっても素直に否定する事など困難なのだ。  半ば助けを求めるように、ユウはちらりと詩依良の方へと視線を向けるも。 「……ちっ! だから……友達じゃねぇって……何度も言ってるだろ……」  彼女は彼女で、沙耶の台詞の中で違うところに引っ掛かっており、沙耶に聞こえるかそうでないかの声音で反論を試みていた。  もっともその心境は言葉とは裏腹であると思え、何事も口憚(くちはばか)ることなくハッキリと言う詩依良には似つかわしくない口籠(くちごも)りっぷりであったのだが。    沙耶が大騒ぎしているのは、今現在噂となっている事についてである。  曰く。  ―――武藤沙耶は、実は百合だった。  というものであった。  実際問題として、これは正しくデマゴギー以外の何ものでもない。  少なくとも沙耶に、そして詩依良の方にも同性をこよなく愛するという性癖など持ってはいない……筈である。  それでもこの様な噂が流れたのは……沙耶が詩依良に抱き着いたからに他ならない。 『武藤沙耶が一之宮詩依良に抱き着いた』  から、 『武藤沙耶は一之宮詩依良が好きなのだ』  へと変わり、 『武藤沙耶は一之宮詩依良を愛している』  へと変貌し、 『武藤沙耶は、どうやらそっち系(・・・・)の趣味があるらしい』  に取って代わったのだ。  この流れには実にいやらしいフィルターがかかり、任意のベクトルへと誘導されている。  つまり、武藤沙耶が一之宮詩依良を好きなのだという部分までは、ただの口の端に乗った噂でしかない。  詩依良に憧れ、彼女を好いているのは、何も沙耶だけではない。  クラスメートの全員が……いや、もしかすれば私立真砂角高校に通う生徒の大半が彼女の事を好きだと答えるかもしれない。  転校してそれほど日数は経っていないものの、詩依良の存在感はそれだけインパクトがあったと言えるのだ。  しかしそれでは、沙耶を(・・・)貶める事など(・・・・・・)出来ない(・・・・)。  皆が憧れる、触れる事すら躊躇してしまうような存在に抱き着くなどという行為を行った武藤沙耶に、それでは制裁を(・・・)加えることなど(・・・・・・・)出来ない(・・・・)のだ。  そこでこの噂に、途中からある種の方向性が持たされる。  つまり『詩依良を好き』という部分から『詩依良を愛している』という事にしてしまえば、少なからず意味合いや事情が変化するのだ。  そうしてしまえば、最終的に『武藤沙耶は同性愛者だ』という所に行きつくことも、そう難しい事ではない。  そして実際、その通りの噂が流れているのだ。 「まぁ、お前が俺に抱き着いたってのも事実だしな。誰が噂を流したなんて、それこそ探りようもねぇんだから仕方がねえよ」  そしてこのことに関しては、詩依良はかなり消極的な方法しか採っていなかった。  その事が、沙耶にはどうにも不思議だった。  何故なら詩依良は、流布されていた沙耶に関する「噂」を、たったの1日で霧散させたのだ。  そんな彼女が、今回自身も巻き込まれた噂に対して何の対策も取らないというのは、事情を知ったユウにしてみても訝しく思っていたのだが。 「まぁ、この程度の噂なんてよくある話さ。対処方法は至極簡単。俺とお前が仲良くしているところを、当分の間他人に見られないようにすれば良い。ただそれだけだよ」  詩依良は沙耶を指さして、つまらなさそうにそう言ってのけただけであった。  それを聞いたユウは、納得がいったのだった。  確かに、事の張本人がこれから先誤解されるような行動を起こさなければ、これ以上噂に尾鰭がつくことも無いだろう。  先ほどの説明とは矛盾するかもしれないが、それも度合いによるものが大きい。  面白おかしい噂程度ならば、しばらくすれば興味を惹くことも無くなり、いずれは霧散するのが道理である。  ましてやこの噂には、少なからず詩依良の名前も挙がっている。  沙耶にどう思われようと何も感じない者であっても、詩依良に不興を買うことは率先して行うはずもないのだ。 「そんなぁ―――! せっかく詩依良ちゃんともっと仲良くなりたかったのに―――! それに、やっとあの『噂』から解放されたのに―――……」  それでも沙耶は、詩依良のその決定に不満であった。  沙耶にしてみればあの「噂」……自身の十年を無為にしてしまった噂が解消されたのだ。  それにも拘らず、再び噂に振り回されるというのは身悶えする思いなのだろう。  沙耶を苛んでいた噂とは、彼女の特殊な能力による。  それは、この世に徘徊する数多いる「怪異」を視ることが出来る……というものであった。  後に詩依良より「そんな奴は結構いるぞ」と言われるものであり、そのほとんどの者は気味悪がられることを避けるために「視える」事を黙っているとの事だった。  しかし沙耶は、それを小学生の頃に披露してしまったのだ。  戯れに「霊が視えるか」と言う同級生の問いかけに答えてしまい、それを立証してしまったのだ。  沙耶の指示した場所を当時の同級生が写した画像には、ハッキリと「有り得ないもの」が写りこんでいた。  それだけでも十分に恐怖に値するのだが、それでも写っていたのが猫やらぼやけた人らしき顔程度ならば、ここまで大事にはならなかっただろう。  だがその時に写っていたのは。  ―――首のない、鎧を着た者の姿だったのだ。  この霊は、沙耶の感覚では「悪い霊」ではない。  それどころか子供を見守り、周囲の「悪さを行う霊」を寄せ付けないようにしてくれていたのだ。  しかし当然のことながら、そんな事は一般人には……ましてや、小学生には見当もつかない。  沙耶の指示した場所に霊が写り、それはなんとも不気味な首のない落ち武者の霊……。  この事実だけが独り歩きをし、沙耶のその後の人生までをも狂わせてしまったのだった。  人は、自分に理解出来ないことには強い拒絶の意思を示す。  理解出来ないものを視て、更にはそれを画像に写りこませた(・・・・・・)沙耶は、もう取り返しのつかない負の螺旋に放り込まれていたのかもしれない。  ましてや噂は独り歩きをし、巨大になっていく性質を持つ。  特に「恐怖体験」などは口の端に上りやすく、いつまで経っても消える素振りを見せないのだ。  友達数人が集まり行う「聞いた話なんだけど……」という様な会話が消え失せない限り、この手の話題は誇張され、脚色されて延々と彷徨うのだ。  実際に沙耶も、彼女の知らないところで様々に色付けされた噂に振り回され、しかも沙耶自身がそのことを知らないという事もあり、無限に肥大化を続ける「噂」に憑りつかれていたのだった。   「もう―――っ! なんで、こうなっちゃうの―――っ!?」  一難去ってまた一難……沙耶の心情を紐解けば、恐らくはそんなところだろうが。  実際は詩依良やユウの言った通り、自業自得の色が濃い事であった。
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