錦佳楼の咎人

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 永は同じ楼に詰めるどの男娼とも違っていた。  そもそも春を売る者はそのほとんどが脛に疵持つ身であるが、中でも永はまだ元服もせぬ若さで、死ぬまで楼に繋ぎとめられる運命を課せられることとなった少年だった。  故に彼は他の生き方を教えられなかった。  地震、大水、火事、戦。それでなくとも栄華を極める三嵯野の都にあってすら、きな臭い話題は尽きぬ世だ。逃げ場などどこにあろう。  疲れて気を失ったように寝入る愛し子の、青ざめて見えるほど白い肌を撫でながら、充顕はよくその身の上を憐れんだ。  充顕が永に出会ったはじめは、都の外れを流れる阿曇(あずみ)川のほとりに、彼岸花の咲き初めた頃のことだ。 「――…お前は何を憎んでいる?」  座敷牢の中で膝を抱え、溢れる敵意を瞳に漲らせ、まだあどけない少年は、この世の全てを恨むようにうずくまっていた。  年長の官人に誘われて色遊びについてきたはいいものの、早々に飽いて饗宴を抜け出し、充顕は楼の中を心当てに歩いていたところであった。怒鳴りつける声を耳にし足を向けた先で、薄暗がりの中にたたずむ少年を見つけたのだ。 「旦那様、申し訳ございません。これはまだ芸の1つも覚えておらず、礼儀もなっておりませんで。おもてなしには到底出せないのです」  年取った牢番が放った不躾な言葉に、充顕は目を細めた。  隣には楼主と、この時の充顕はまだ知らぬ名であったが、奈都(なつ)という下女も控えていた。 「何ぞ騒がしかったゆえ見に来たに過ぎない」 「…はっ、出過ぎたことを申しました」  それきり恐縮して引き下がる牢番へ、楼主が咎めるような眼差しを向ける。  充顕は牢の内へ再び目を移した。  髪は伸び放題に痛み、骨の目立つ体だ。足も手も縄でこすれて赤く皮が擦り剝けている。殴られた痕、切り付けられたような痕。灸はさすがに残るので無いが、ありとあらゆる生傷が粗末な衣からのぞく。  そんな、とてもまともとは言えぬ状態であったにも関わらず、囚人には奇妙な気高さがあった。  何か言い表せぬうちに惹きつけられるのを充顕は感じ取っていた。 「この子はどうしてここに閉じ込められている」 「躾の一環でございます。お客に嚙みついて怪我をさせるようなことがあっては、立ちゆきませぬ故」  楼主が含みのある答えを返した。  ぎらぎらと檻の外を睨みつける眼差しは強かった。充顕は牢の前に膝をついて、興趣の赴くまま声を掛けた。 「お前、名は」 「……。」  少年は答えなかった。 「言わぬなら私の好きに呼ぶ」 「……、…えい」 「栄光の栄か、英傑の英か」 「…永遠の、永」  それが本当の名なのか、楼から与えられた名なのか、それとも彼が勝手に名乗っているでたらめなのか、そうしたことどもは充顕にとっては些事に過ぎなかった。  ただ少年が自らの名を説明するのに永遠という言葉を使った時、憂鬱な影が瞳に落ちたのは少し気になった。 「言葉を知っているのだな。誰に教わった」 「……。」 「言いたくないか。…楼主、躾と言ったな。楼のやり方に口を出す気は無いが…これは些か粗野に過ぎる」  風で折れそうなほど細い手足も、襤褸切れの如くな身なりも見るに堪えぬ。 「―――その者は咎人なのです」  楼主は淡々と告げた。 「親を殺し、本来であれば市中引き回しの上、磔にて処される予定であったところを、ある貴きお方のお慈悲にて命拾い致しました。お申し付けにより、年月が巡るまでに手前どもで仕込まねばなりません。でなくば…」  言葉を曖昧にしようと、続きは明らか。娼館にも、この子どもにも暗澹たる末路が待ち受けるのみということであろう。  充顕は黙して少年を見下ろした。とても親を殺せる体には見えなかったが、ただ瞳のみに説得力があった。 「ひどく反抗的で、手を焼いておるのです。商売道具をこうも痛めつけることは、手前どもも本意ではございません」  充顕は懐から金を取り出した。 「その傷、痛むだろう」  元より、今宵は誰も抱く気になれなかったのだからちょうどいい。楼主に金を渡し、充顕はさらに声を紡いだ。  ほんの気まぐれであったのだ。  この時は、まだ。 「まともな服と食事を用意してやりなさい。私がこの子を買う」 「…しかし、旦那様」 「今宵とは言わない。躾とやらに私も力を貸そう」  楼主はやがてうべなった。  うまく飼いならされた人間は、やがて身に過ぎた意思も欲望も持たなくなるもの。充顕は仄かな興味を持って、獣のように獰猛な瞳をする少年をただ眺めた。  のちに月から舞い降りたとも、国随一の美しさとも讃えられる永はその頃、泥沼の底でもがく、無力な幼い命に過ぎなかった。
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