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「ありがとう。それなら、これをおれだと思ってディアディラに連れ帰ってくれないかな。おれが死んだら、きっとおれの毛皮はアスラルに残るだろう。おれの我儘なんだけど、その時が来たら両親と同じ墓におれ自身の代わりにこの兜を入れて欲しいんだ。こんなこと、ディアディラ中でラケにしか頼めないし、オメガは短命だからさ。……ほら、おれに何かあった時は、おれの兜はラケが引き取るって言ってくれたじゃないか」  俯いたままラケが声もなく頷くのを見て、ノクスはホッとした。 「……ラケ。おれがディアディラで不幸じゃなかったのは、ラケや叔父さんや、第七のみんなが一緒にいてくれたからだったよ。……ありがとう」  『オオカミ』たちが親しい相手と挨拶する仕草を――座り込んでいたラケの首元にノクスは顔を摺り寄せる。ようやく顔を上げたラケもノクスの首元に顔を近づけようとしたが、しっかりと残るつがいの証が視界に入ってしまった。ラケはそっと顔を離し、そのまま後退る。  それを契機にファルクに再び抱きかかえられ、ノクスは「うあ」と、驚きで小さく声を出した。   「『オオカミ』達の会話は、死ぬだの毛皮が残るだの、不吉な話ばかりで……心臓に悪い」  ノクスを抱き上げながらそうぼやいたファルクに、ノクスはきょとんとなった。そんな二人を、ラケは膝をついたまま見上げてきた。少し逡巡した様子を見せたものの、決意したようで口を開く。 「……ノクス様。俺は、キキトという魔術師を探し当てました。――あわよくば貴方のオメガ性をアルファ性か、だめでも以前のようにベータ性に戻してもらおうと」 「キキトって、おれの尻尾と代わりにおれの身体をベータにしていたっていう……?」  そうです、とラケは頷き返した。 「……あの男。なにかおかしいと思い問い詰めたら、魔術師というのは嘘でした。オメガをベータの身体に作り変えるなんてこと、あの男にはできなかったのです」 「ええっ、じゃあおれの尻尾は……」  ノクスの切り尾がしょんぼりと垂れ下がる。 「待て。確かノクスは二十歳まではベータの身体だったと……」 「ノクス様はずっとオメガの身体だった……騙されていたのです。ただ、あの男は『オオカミ』――それもオメガ性のことをずっと研究し続けていた。尻尾は『オオカミ』である俺たちにはとても重要なもので、たとえばそれを切り落としたらどうなるかを、あの男は知っていたのです。発情期が遅れたり、不安定になったりすることを」  ファルクもさすがに驚きを隠せず、思わずノクスの短い切り尾を見てしまう。 「オメガの短い寿命についても……。オメガは四本足の獣だった頃、最下位であることで群れの秩序を保っていた。だが、それはアルファの庇護のもとだ。オメガはアルファとあることで、意味がある。『オオカミ』の姿となった後、アルファとつがいになったオメガたちは相手のアルファと同等の寿命になったことがあるそうです。あまりにもオメガをつがいにするアルファが少なくて、それが正しいかどうかを実証することはできないそうですが」  ぴくりとノクスの耳が動いた。 「……同じ時間を、生きられるということです」  「本当か?!」  目を丸くしているノクスよりも先に、ファルクが口を開き、それからノクスを見て――ノクスの身体を抱きしめる力を強める。 「おれはずっとオメガ、だったのか……」 「ノクス様が騎士でいられたのは、貴方自身の努力そのものだったんです。オメガだとかそんなものは関係なく……俺は、それを伝えたかった」  ようやくラケが笑顔を浮かべた。それに笑い返そうとして、ノクスは失敗した。笑いたいのに涙があふれ出てくるのだ。 「……ファルク殿。俺の大事な弟であるノクスを、どうか大切にしてやってください。へこむとすぐに食べなくなるし、背が伸びなかったことをずっと気にしていますが――」 「ラケ!! それファルクにわざわざ言わなくていいから!!」  半泣きで顔を赤くしたノクスが慌てるのを、ラケは少し笑って見返してからファルクへと強い視線を向ける。 「ノクスは、とても頑張り屋で――そして、誰よりも優しい『オオカミ』です」 「分かっている」  頷き返したファルクを見て、安堵したような表情になるとラケは一礼して立ち上がった。 「ディアディラ王が放言していたことについて――神殿のオメガたちのことを調べましたが、残念ながらあの男が言っていたことは正しかったことが分かりました。……悪意はなかったのですがその調査内容を、アスラル王とディアディラ王の居ぬ間に自国の有力者たちにうっかりばらしてしまいましたので、俺は騎士団から離脱することになるでしょう。だが、これからディアディラも変わっていかなければいけません。これから生まれてくるだろうオメガのために。……ノクスがいつでも気軽に遊びに帰って来れるような、そんな場所に。――ノクス。その衣装はうちの家族たちがノクスのためにと刺繍した服で……着てくれて、嬉しかった」  ずっと立っているファルクたちを見て、近衛兵が数人近づいてくる。それを潮時と見たラケが、もう一度深々と二人に頭を下げると白いオオカミ面の兜を提げ持って踵を返した。彼らのところまで近づいてきた近衛兵たちが追いかけようとしたのをファルクが止める。 「ディアディラが変わったらすごいね。小さい国なのに陰険なやつも多かったから。でも、アスラルに来てから社会で一番下の存在をわざわざ作らなくても、みんなが笑って過ごせる世界があるんだなって分かったし……でも、ラケは大丈夫かな。オメガを庇うようなことしたら、孤立しちゃうんじゃ……」  「あの『オオカミ』なら大丈夫だろう。兄上にディアディラの情報を伝えたり、自治領になるという意向をまとめてきたのはどうやら奴のようだしな。……それにしても、ノクスが身長のことをそこまで真剣に気にしているとは思っていなかった」  うわー! と顔を赤くしながら声を立てたノクスにファルクも声を出して笑うと、ノクスが来ないことを心配したリズたちが控えの間から出てくる。 「……キキトとかってやつに尻尾を切られちゃったからきっと背も伸びなかったんだ……キキトのやつ!!」 「だが、良い情報もあった」  ファルクがそう返しても、ノクスは短い尻尾を不機嫌そうに振っていて、近づいたリズが「どうされましたか」と声をかけてきた。 「何も問題ない。ノクスのことを頼む」  床に下ろしたノクスをリズに託したところで、ノクスの耳がふいに動いたことに気づいた。今までの不機嫌さを忘れたように、ノクスはリズに近づくとパ、と顔が明るくなる。 「あらまあ、お菓子を用意していたのが分かってしまいましたね」  確かにリズと共に菓子の甘い香りがふわりとしてきたのはファルクにも分かる。途端に嬉しそうな顔になったノクスを微笑みながら見ていたファルクも踵を返したが、後ろからとん、と軽い衝撃があった。振り返ると、リズと行きかけていたノクスがファルクに後ろから抱き着いていた。 「あの、お菓子、食べないで待っているから。おれは、ファルクの方がずっと大事だから」 「……我慢はしなくていいぞ」  思わず苦笑いを零して――ファルクは愛しい『雪のオオカミ』の柔らかな白銀の髪に、口づけを落としたのだった。 ***  その日、アスラルの国中がお祝いムード一色に包まれた。  挙式したのは王弟のファルクと『オオカミ』の婚礼衣装に身を包んだ白い『オオカミ』だ。『オオカミ』との結婚は繁栄をもたらすとされているアスラルでは、その結婚が国民にとっても喜ばしいものであるのはもちろんだったが、背筋を伸ばして凛とした顔つきで王弟の隣を歩く美しい『オオカミ』の姿に誰もが心を奪われたようだった。  王族の婚姻は正妃を迎える時だけ国民も証人とする人前式の形式を取る。城のバルコニーから国民の前で、アスラル王を始めとした三国の王の名前が記された婚姻証明書が神官によって高らかに掲げられ、人々の喝采が沸き起こった。 「アスラルの国民たちの祝福が聞こえるねえ。……おーい、ノクスちゃーん?」  王として正装に身を包み、ファルクとは反対側に並び立ったコルに声をかけられて、ぴしっとした姿勢のままノクスはぎこちなく頷いてみせた。彼らの前にはアスラルの国旗を手に手に持った人々が喝采を上げる様が広がっている。高いところから見下ろすと、それはまるで波のようにうねって見えた。 「さてさて、このあたりで締めておかないとね。ほらほら永遠を誓ってさあ、お互いに口づけをヨロシクー」  そう茶化すように言ってコルはノクスの側からさっと離れてしまうと、周囲には参列している貴族たちもいるのに二人だけが取り残されたような錯覚に陥る。いつもと変わらない表情でファルクがノクスの頬に指をさし伸ばし口づけてきた。儀式的なものなのですぐ離れ、今度はノクスの番となる。ファルクはノクスを待ちながら片膝をついた。 「……ふぁる。そこまで屈まなくていいんだけど」 「ノクスの背に合わせたんじゃなくて、『オオカミ』の敬礼のつもりなのだが……何か違っているか?」  自分を見上げて笑んできた伴侶に、ノクスは顔を赤くすると首を横に振った。豪勢に飾られたノクスの首元で涼やかな音が立つ。ファルクに更に近づくと、震える手でファルクの肩を押える。 「ノクス?」  ファルクに小さく呼びかけられ――『雪のオオカミ』が恐る恐る顔を近づけ、ファルクの上唇に触れる程度の口づけをすると、そのまま抱き込まれて深く口づけられる。  かたく目を瞑ったノクスの耳に、『オオカミ』たちの遠吠えが届いた。『オオカミ』が結婚式を挙げる時、仲間たちはそれを祝って獣のオオカミのように遠吠えを上げるのだ。ノクスたちを祝福するその遠吠えは、繰り返し繰り返しアスラルの空へと響き渡るのだった。 Fin.
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