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 ファルクの屋敷の中もいたるところに木材が使われている。板張りの床は綺麗に磨きあげられていて、自分が映りこみそうな床を覗き込んでいるとリズに笑われてしまった。廊下は長く、人の目を楽しませるためか絵画も何枚か飾られている。目的地の広い応接間にたどり着いたところで、ノクスは後ろから唐突に抱き上げられて飛び上がりかけた。 「おお、これがディアディラの勇気ある『雪のオオカミ』か! うん、話に聞いていたのとまったく違うぞ? 『オオカミ』っていうくらいだからもっとごついマッチョなのかと思っていたんだが」  ノクスを抱え上げてきた男は『オオカミ』かと思うくらいの長身で、金色の長い髪を後ろで一つに結わえている。ノクスよりも濃く青い瞳は興味深げにノクスを見てきたが、視線に耐えられずノクスはふいと視線を逸らした。 「それに、良い香りがするし……美しい。気に入った!」  『オオカミ』たちが普段するようにうなじのあたりに鼻を近づけられる。ノクスが警戒して逃げようとしたところで「兄上」と厳しく低い男の声が部屋の中からした。 「いい加減、ご身分をわきまえずそうやって得体の知れぬものに触れるのはおやめください。それが毒牙を持つ蛇だったらどうするおつもりか」  椅子から立ち上がりこちらへと近づきながら声を出したのはファルクだ。この金色の髪の男と兄弟なのだろうか。それよりも、今まで聞いたこともないようなファルクの厳しい声音に、ノクスは無意識に耳をぺたりと伏せていた。 「はあ? その毒牙を持っているとかいうオオカミちゃんを私邸で大事にお世話してきたのはどこのどいつだよ。それにしても、見たことがないくらい美しい『オオカミ』だな。そこら中の美人に振り向きもしない堅物がディアディラから帰って来るなり、デレデレとオオカミちゃんの話をしているから、どんなもんだと思っていたらさあ。内緒にしておくつもりだったんだろう」  『兄上』と呼ばれた男はファルクに言い返すと、ノクスを抱き上げたまま応接間へと入った。そこには大きな暖炉があり広く明るい。座り心地のよさそうな革張りの大きな椅子なども並べられている。ノクスはその中でも三人は余裕で座れそうな椅子に下ろされた。ノクスの隣にはファルクの兄が座り、ファルクはこちらと向かい合うように配置された一人掛けの椅子に腰かけた。 「ファルクの、お兄さん……ですか?」  思っていたよりも声が掠れてしまった。隣に腰かけた男に尋ねると、ファルクに似た顔で明るく笑い返される。 「そう、オレはコル。この仏頂面しているファルクのお兄さんだよ。よろしくね、『雪のオオカミ』ちゃん」  仏頂面、と言われたファルクを見やる。確かに、獣だったノクスにいつも見せてくれたような柔らかな笑みはなりを潜めていてノクスの知っているファルクとは別人に見えた。 「私はノクスと申します」  ちょこん、と長椅子に正座しながら答えたノクスに、コルは何が面白いのか分からないが楽し気に笑うとノクスを自分の膝の上に引き上げた。 「ノクスか。まんま『雪』って意味なんだな。今までディアディラの『オオカミ』には何人か会ったこともあるけど、ノクスみたいにここまで白くて可愛い『オオカミ』は初めてだ。ファルク、この子、オレが連れ帰ってもいいよな?」 「好きにすれば良いでしょう……この国で、貴方が望んで手に入れられないものなどないのだから」  ファルクは無愛想に返すと嘆息をつきながら立ち上がった。……が、ようやくコルの言葉の意味を理解したつもりになったノクスは元々白い顔を真っ青にした。しっかりとノクスの身体をホールドしていたコルからなんとか逃げおおせると、長椅子の後ろへと隠れる。 「お、ノクスちゃーん、どうしたんだ?」 「おれは身体が小さいので……大した毛皮、残せないと思います」  死んでも構わないと思いながら戦ってきたノクスではあるが、生きながら毛皮を剥がれるのと戦死するのとでは大きな違いがある。盛大に誤解している『オオカミ』にコルとファルクの兄弟はさすがに視線を交わした。ファルクが渋面を造りながら近づき、隠れていたノクスを引っ張り出す。 「我らはディアディラの民を保護することとしたのに、毛皮にするわけがないだろう。我らはそこまで、野蛮ではないぞ」 「……それならいいけど」  ファルクが怒っている気配に、ノクスは視線を逸らす。長椅子の上からまた楽し気に笑う大きなコルの声が響いた。 「ディアディラはほとんど他の国とは交流して来なかったって言うしな、まあ警戒して当たり前だろうさ。ほら、ノクスの部屋を城に用意させるからさ。お兄さんと一緒に行こう」  床に座り込んでいたノクスは再びコルに抱き上げられてしまう。『オオカミ』でもないのに、小柄とはいえ成人した男を簡単に抱き上げられる膂力はすごい、とノクスは内心感嘆する。どうやら自分が毛皮目的に捕らえられた訳ではないことがはっきりとして安堵した。 「ディアディラの民が保護された、と言いましたか?」 「そうだ。元々は隣国だといっても国交はなかったし、クルガの侵攻さえなければこの先もこのままだったのだが……」   コルはディアディラがクルガに侵攻された後のことについて詳しく知っているようだ。何とか自分の足で歩きたいと話すと、残念そうではあったが床に下ろしてもらえた。 「オレには存分に甘えてほしいんだがな。なんせ、ノクスはオレの花嫁となる身だ」  花嫁。ノクスの切り尾がピンと立ったがそれにコルは気づかない。 「……私は、貴方とは今日が初対面、では」 「あーもう、そこまでがっちがちには警戒しないでほしいな。オレたちの国、アスラルには言い伝えがあるんだ。『オオカミを花嫁に迎えたものには神の祝福がある』ってね。ディアディラでも滅多に現れないっていう、『オオカミ』のオメガが落ちていたのはラッキーだった。ディアディラでは、オメガは神の遣いなんだろう?」  どこをどう伝われば、それほどまでに酷い伝言ゲームになるというのだろうか。 「神の遣いではなく、ただの厄介者の間違いです。オメガは、『オオカミ』にとって何の価値もない存在で……」 「価値がない? 取り合えず、うちの弟はノクスの世話している間、幸せそうだったけどなあ」  コルの言葉にノクスは視線を逸らした。無言になり俯いたノクスにコルが触れてきたが、抵抗しないノクスに気をよくしたようで再び抱き上げてきた。 (触れ方……兄弟でも、全然違うんだな)  がさつな感じの触れ方をしてくるコルに対して、ファルクはまるで宝物にでも触れるように、そっとした手つきで触れてきた。ふと、ノクスの視界にコルの腕が映る。そこには幾重にもコルの瞳と同じ色をあしらった宝石を使った腕輪がはめられており、自分がかつてファルクから受け取った翡翠の腕輪に似ているな、とぼんやりと思った。
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