17

1/1
前へ
/31ページ
次へ

17

「発情期がまだ来ていない?」  医師に尋ねるコルの声が彼の執務室に響いた。城内で勤務している医師は「あくまで推測ですが」と恐る恐るといった風に返す。 「ディアディラで『オメガ』と呼ばれている特別な性は『オオカミ』にしか現れない上に、男性体のオメガは滅多に現れないと聞きます。つまり、わが国には前例がありません。ノクス様はその……つがいもおられないようですし、身体の機能も男性体としてまだ未熟のように見えます……オメガだから、かもしれませんが」  押し黙ったままのファルクを気にしながら話し終えた医師に、コルが労いの言葉をかけた。ファルクの屋敷でノクスの身体の様子を見たという医師を、ファルクに何も聞かず呼び寄せたのはコルだった。 「忙しいのに診察してくれたそうで助かったよ、ありがとう。なんだろうね、『オオカミ』たちが単純にノクスの発情期に気づかなかったってことはあるのかな? 」 「……もしかしたら、オメガとして不全なのかもしれません」  御殿医が返すとファルクがぴくりと反応した。弟の動きを見ながら、コルが「そういうのもあるかもね」と頷き返す。 「オレたちには祖母の『オオカミ』の血がばっちりと入っているから、そのせいで普通にそこら辺の女の子と交わっても子どもを設けられる可能性は低い。『オオカミ』のオメガなんてそれこそ神からの賜りものって感じだったからちょっと話が美味しすぎたかな。ノクスは『オオカミ』にしては細いし、環境の変化で身体が追いついていないのかもしれない。じっくりいくよ。……ファルクもノクスのことをいじめるないように」 「いじめてなどいない!」  不機嫌を露わに即座にそう返すと、ファルクはコルの執務室から出た。護衛が数人、ファルクの後ろからついてくるのにも構わずに足早に歩いて、中庭を見下ろす出窓で立ち止まる。窓枠に手をついてじっと己の両手を見た。  ノクスが魔術師の力とかで生来の身体を歪められ、二十歳まではベータと呼ばれる『オオカミ』ではごく普通の身体のままでいたらしいことはコルにも医師にも話していない。実兄であるコルは明るく気さくで家族思いのところはあるが、『自分にとって必要なもの』に関しては計算高く冷徹になるところもある。 (……ノクスが死んだり悲しむことがなくなればいいとだけ、思っていた)  しかし、そのためにはどうすればいいのか分かりかねているのが現状だ。ディアディラにはノクスの家族と言っていい存在がいるが、彼の国においてオメガは忌避される存在だ。ノクス自身がオメガという存在を嫌がっていたくらいなのに、ディアディラに帰したところで彼が幸せになれるとは考えにくい。 (オメガは『愛されない存在』だとまで言っていた)  ノクスがオメガであることをコルに話したのは先ほどの医師だった。特殊な性であるが故に、身体に異変がないか念のため医師を呼んだのだが、コルに問われたら彼らは素直にすべてを話さなくてはならない。『オオカミ』のことなんて興味もなさそうだった兄があれ程までにノクスに興味を持ったのは想定外だった。  いや、分かっていたのかもしれない。だからディアディラの他の『オオカミ』たちもいる城ではなく、ノクスだけを自分の屋敷へと連れ帰ったのは自分の中で打算が働いたのだ。誰にも知られなければ、そのまま己の屋敷の中にノクスを置いておけたのに。そう考える自分自身にぞっとはするのだが、ノクスが獣の姿から戻れないままなら本当にずっとそのままでも良かったのだ。あまりにも自分本位な己に嫌悪感が増して強くこぶしを握り締めた、その時。    不意に、視界の中で白いものが動いた。 (……ノクス?)  本人は隠れて行動しているつもりのようだが、上階から見下ろすと白い耳と白銀の美しい髪が丸見えである。その視線の先にあるもので彼の目的を予測すると、ファルクは先回りをすることに決めた。
/31ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1164人が本棚に入れています
本棚に追加