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 ノクスは対の館側の開いていた窓から侵入に成功した。においを頼りに、迷うこともなくディアディラ王たちが使っている貴賓室の近くまでたどり着いたのだが。 「……ファルク」  ぎょっとした顔になったノクスの前には、腕組みをして待っていたファルクがいた。もう少しで王の許に行けるのに、というノクスの表情を正確に読み取ってファルクは深いため息をついた。   「それで成功したと思っているのか。元第七騎士団の副団長殿」  ファルクは自身が腰に帯びていた布を外すと頭からノクスに被せる。ふわりとファルクの香りに包まれたような気になって、ノクスはふい、と目を逸らした。 「こちらの館にいる侍女に聞いたが、ディアディラ王は眠ったばかりらしい。今なら良いだろう」  表情をあまり読ませないファルクからの提案にノクスの耳が反応した。強行突破しようとして失敗したのだから、怒られて首根っこを掴まれて戻されるだけだと思っていた。コルにも駄目だと言われたのに。しかしチャンスを逃したくはなくて、借りたばかりの布を被りながら、ファルクの後に続いて王が使っているという部屋に入った。 「……陛下」  ファルクが事前にこの部屋付きの侍女に確認していたとおり、ディアディラ王は寝台の上で眠りについていた。顔色は悪くないが、利き腕である右腕には包帯が巻かれており痛々しい。自分の命を捧げてきた王が生きていたこと、しかし利き腕にけがを負っていることなどがノクスの胸中であふれかえる。ふらふらとノクスが王に近づいても、ファルクは扉の横で腕組みをしてもたれかかっているだけで何か文句を言い出すこともなかった。 「……ご無事で……だけれど、もう……」  やはり、もう自分は王の手足である『騎士』ではなくなったのだという意識が鮮明になってしまった。それは本能の部分から浮かんできたような、そんな予感だった。せめて。王に傷一つ残したくなくて、ノクスは包帯で巻かれた王の腕に触れると、己の唇を押し当てた。力を吹き込むように祈ると、ぴくりと王の眉根が動く。 (痛みが、消えますように)  そして、大事な腕が早く動きますように。  祈りを込めて力を送り込み続けているうちに、ふとノクスの体のずっと奥底で熱い何かが芽を出したような――そんな不思議な感覚が生まれた。 「……あ、れ?」  全身をぞくぞくとする感覚が襲う。それもまた、本能の部分で何なのかは分かったのに、認められなくてノクスは絶望に満ちた眼差しでファルクへと振り返った。 「………ふぁるく、た、たすけ……!」  「部屋に戻るぞ!」  どうすれば良いのか分からず立ちすくんでしまったノクスをファルクが抱きかかえると、ディアディラ王が目を覚ます前に部屋を飛び出した。 「ノクス、発情期なのか?!」 「わ、分からない……一度もなったことなかったから……っ」  ここで医師の見立てが正しかったことを思い知らされながら、ファルクはどちらへ向かうか悩んだ。ノクスが発情期を迎えることを心待ちにしているだろうコルの私室が一番近い。一番近いのだが――馨しい香りに眩暈を覚えながら、ファルクはノクスに与えられている部屋へと急いだ。途中途中にある物影が誘惑してくるものの、己の腕に噛みつくことで必死に理性を保ちながら部屋にたどり着く。  リズにノクスを頼み込むと部屋の前で扉を背にしてずるずると座り込んだ。まるで強力な催眠術のように、ノクスと繋がることしか考えられなくなりそうな己をこれ以上抑えられるか、ぎりぎりのところだった。 「ファルク!」  いつになく真剣な面持ちでコルが駆け付けてきた。他にも医師やらがいる。いつもは陽気に笑んでいることが多いコルの目が、血走っている。 「ファルク。そこを、どけ」 「それが王の命令だとしても、今だけは聞けません。……ノクスは混乱している。まだ、兄上とノクスは婚姻の誓いを交わしてもいない」  コルからのいつになく冷たい声掛けにも関わらず、ファルクはコルを諭すように、だが扉の前からは動かずに言い返した。 「ノクスをいずれ貴方のつがいにするのなら、別に急ぐ必要はないでしょう。今日は後宮にでもお渡りください」 「……オレに命令し返すのなら、お前もノクスには絶対に手を出すなよ」  ここに駆けつけたのもあるのだろうが、酷い興奮状態に陥ったコルを医師の一人が付き添って去っていく。それを見送ってから、医師以外は誰も入れないよう侍従たちにきつく言い含め、『オオカミ』にも負けない屈強な衛兵たちを配置してファルクもノクスの部屋から動いたが、対の館の方から侍女たちのものらしい悲鳴が聞こえた。恐らく、コルやファルクにも起こった激しい興奮がディアディラ王か近辺の『オオカミ』にも訪れたのだろう。 「……ディアディラ王に対して、発情を起こしたのか?」  一体どういう仕組みで、オメガという性を持つ者が発情を起こすのか分からない。だが、今まで平然としていたノクスがディアディラ王に触れた途端に発情は起こった。――だが、ノクスが先ほど見せた絶望を思わせる表情は、ノクス自身の意志を裏切ってのものだということはハッキリと分かった。 (予感は、していたのだ)  だからディアディラ王たちにもノクスを会わせるつもりはなかったのに。発情期が来なければコルの目的が達成されない以上、発情が起きたことは結果的には良かったのかもしれないが、それを良かったと思えない自分がいる。  ファルクは対になるはずの翡翠の腕輪の片方だけが残った己の腕を強く握りしめると、冷めない熱を発散させるために修練場へと向かうのだった。
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