22

1/1
1153人が本棚に入れています
本棚に追加
/31ページ

22

 いきなりノクスを抱き上げると、影はそのまま広場から出て雑然とした市場の中を突き進んでいく。あまりにも突然のことにノクスはファルクの外套どころか、ファルクからもらった布まで地面に落としてしまったことに気づき、相手から逃れようとしたが相手もかなりの強い力でノクスを掴まえている。 「とまって……ラケ!!」  匂いで誰かは分かったが、強く相手の名前を呼んでも反応はない。やがて寂れた宿屋が連なっているところまで来ると相手――かつての第七騎士団の一員であり、ノクスにとって兄のような存在でもあるラケは足を止めた。ノクスを肩からおろすことなく、無言のまま宿屋の一つに入っていく。宿屋には居眠りをしている老爺が受付に座っていたが、ラケの足音に気づくこともない。そのまま二階部分へと階段を上がっていく。走り続けていたのにあまり息を乱すことはなく、ラケは一番奥の部屋の扉の前に静かに立った。最後に会った時よりもやつれたように見えてノクスは心配になる。 「ラケ。生きててよかった……でも、やせた?」  自分を抱きかかえたままのラケを見ると、ラケはつい、と視線を逸らす。 「王都に戻ってから、貴方の生死に関する報せをずっと待っていました。もしかしたらと単身でクルガに潜入したりもした。やがて王が帰還し、貴方の無事を知り――だが、この国の者たちが貴方を返してはくれなかった!!」  ノクスを抱きかかえているラケの大きな手が震えている。琥珀色のラケの瞳は、いつも穏やかにノクスを見守ってくれていたのに――今は敵に向けるような強い視線をノクスに向けていた。 「ラケ、それはちがう。おれはオメガ、だから……いらない」 「――オメガがどうとか、言い訳だ。貴方が『オオカミ』の騎士じゃないのなら、ほとんどの『オオカミ』は騎士失格じゃないか。王を命がけで守った貴方が、騎士でいられないのなら……! 貴方は逃げようとしているだけだ!」  ラケが吼える。ラケはノクスの家から見ると分家にあたり、常にノクスの家を支えてきた一族だ。代々アルファが生まれるノクスの家にオメガとして生まれたノクスとは反対で、代々ベータしかいない一族に偶然生まれたアルファがラケだ。体躯も剣術にも何もかも恵まれていて、彼にも騎士団を一つ預けようと言う話がでてもラケはノクスの部下としてずっと支え続けてくれた。  そのラケから放たれる言葉は、下手したらディアディラ王から言われる以上にノクスに突き刺さってきた。 「戻りましょう、ノクス様。誰が何と言おうと、貴方は『オオカミ』の騎士。陛下もそれを分かって下さった」  外は雨が降ってきたようで、強い雨が小屋の屋根を叩いている。ラケの怒号が呼んだのか、遠くから雷鳴も聞こえてきた。 「……おれがいたら、めいわく」 「迷惑なはずないでしょう! 貴方の身体をオメガから遠ざけていた魔術師とやらに、俺が何かを捧げれば貴方の身体を戻してもらえるのでしょうか。なら、俺のアルファ性を貴方に渡します。だから、だから――俺と、陛下と共にディアディラに帰りましょう」  幼い頃から兄のように慕ってきたラケの琥珀の瞳から涙がこぼれる。  (ラケにとっても、オメガである自分は――許されない)   そして、深く傷つけてもいる。 「陛下。お連れしました」  そうして。  狭い部屋の寝台にノクスをゆっくりとおろすと、椅子に腰かけている男へと向かってラケは片膝をついて頭を下げた。 「……へいか?」  椅子から立ち上がったのはディアディラ王だ。『オオカミ』の騎士だった時代、いつも笑いかけてくれていたその端正な顔に、いつものような笑顔はない。無言でノクスがいる寝台へと近づくと、身体を起こそうとしたノクスを押さえつけてきた。 「ご苦労だった、ラケ。もう下がって良い。隣の部屋に行っていろ。何が聞こえても、この部屋に入って来るなよ」 「……陛下? この部屋を出る前に、あの約束をノクス様の前でもう一度履行すると仰ってください。ノクス様を、騎士団に戻してくださるというお約束を」  いつにない王の強い口調に、しかしラケもはっきりと己の主張を伝える。まさかラケがそんな約束事をディアディラ王としていたとは。驚いて目を丸くしたノクスはラケを見ようとしたが、ノクスを押さえつける王の力は強い。 「出ていけ。二度は言わぬ」 「陛下、約束を! ノクス様を騎士に戻すと、いま仰ってください!」  片膝をついていたラケだったが、膝をついたまま縋るように王に取りすがる――が、ノクスから一度手を離すと王は容赦なくラケの肩を蹴り飛ばした。 「一考してもいいとは言ったが、騎士に戻すと確約はしていない。誰にでも尾を振り、腹を見せるようなオメガが誇り高き『オオカミ』の騎士? 笑わせるな。そんな恥ずかしいものを騎士とするのなら、勇敢な騎馬を騎士とした方が余程ましだ。部屋を出ろ、出るつもりがないのなら――この細いノクスの首がどこまで俺の力に耐えられるか、試そうか」 「……ぐっ、……う」  そこにはノクスやラケも見たことがないほど、冷酷な眼差しのディアディラ王がいた。王は表情を変えることなく、ノクスの首に伸ばした己の手に力を込め始める。 「出ていきます。ですから、ノクス様を傷つけることは……おやめください」  王の様子にラケは隙を見つけることもできず、ノクスが苦しむ声を聞いてしぶしぶとではあるが、ついには部屋から出ていった。
/31ページ

最初のコメントを投稿しよう!