04

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 何か物が落ちる大きな音が自分の部屋の方から聞こえて、ノクスは耳を大きく動かした。  雪が降り国境警備の任務も難しい日が続くと、雪解けまで騎士たちはひたすら鍛錬に勤しむ時期となる。男が寝台から起き上がって動き回れるようになるまではと休暇をもぎ取ったノクスは、男が着られそうな服をかき集めて部屋へと戻る途中だった。ノクスが部屋を離れる際に、第七の騎士見習いの少年に男の見守りを頼んでいたのだが、何があったのかと慌てる。部屋に入ると、眠っていたはずの人間の男が寝台から落ちていた。おろおろとしている少年がノクスに気づいても固まったままで、そこから動ける気配もない。 「……すまない、手を貸してもらえると助かるのだが」  ばつが悪そうにそう一声を出した男にノクスは駆け寄り、寝台へと何とか腰かけさせる。男に近づくとまるで仲間たち――『オオカミ』のようにふわりといい匂いがすることに気づいたが、それよりも見習いの少年の様子がおかしい。 「の、ノクス様……もうしわけ……でも、その人間の男が……こわくて」 「大丈夫、後はおれがこの人についているから。今まで代わりに看ていてくれてありがとう。訓練に戻っていいよ」  震える声でノクスに話しかけてきた少年は、ノクスに笑顔で返されてほっとした顔になり震えがおさまった。そのままぺこりと頭を下げてさっさと部屋から出て行ってしまう。 「良かった、目が覚めたんだね。一時は体温も下がっちゃって危なかったんだよ。おれの部下が驚かせたようで申し訳なかった」 「ここは? 君たち『オオカミ』に助けられたのは覚えているんだが。まずは助けてくれてありがとう、だな。私はファルクと言う。先ほどの少年にも悪いことをしてしまった。目が覚めた時に目の前にちょうどいて、驚いて振り払おうとしてしまった」  落ち着いた声音だし、顔色も男を拾った時よりもだいぶ良くなっている。それに安堵しながらノクスは男に横になるよう告げて上掛けをかけた。  どうやら騎士見習いの少年が近づいたことに無意識のうちに警戒して動こうとした結果、寝台から落ちたらしい。『オオカミ』たちが異種族である人間を警戒するように、人間も『オオカミ』を警戒するのだと、よく考えれば分かることなのに、ノクスにとってそこは盲点だった。確かにノクスも朝起きて突然見知らぬ種族が目の前にいたら驚いて切りかかるかもしれない。 「ここはディアディラの王都にあるおれの部屋。おれが部屋を離れる時に誰かつける必要もなさそうだから、誰か来るとかはもう心配しなくていいよ。なんか気になることがあったら遠慮なく言ってほしい。……人間とこんな風に話すのも初めてだから、いろいろ教えてくれると嬉しい」  ノクスがそう言って笑いかけると、男は驚いたような表情をした。それからノクスに促されて、ぽつぽつと自分のことを離し始めた。  ファルクはアスラル名産の織布を卸す商人をしているそうだ。隣国のクルガにも足を延ばして商売をして、商品の敷布は売れたのだが帰り道で盗賊に襲われてしまったのだと言う。潰れたはずの自分の足が動くようになっていて、ファルクはとても驚きながらノクスに礼を告げた。その日は疲れたようで、程なくして男は眠りについた。  男――ファルクが目を覚ましてからも、ノクスはせっせと男の世話をした。一度見守りを頼んだ騎士見習いの少年が「あの男の人、人間なのに怖い匂いがする」と言われてしまい、頼めなくなったのもあるが、それ以上に自分たちと違う考え方をするファルクと話すのが楽しかったのもある。 「……傷を癒したりするのも、『オオカミ』たちはみなできるのか?」  冬のお楽しみにするためにこっそり隠しておいた乾燥果物を、男に食べさせるために部屋の奥から取り出してきたノクスにファルクが声をかけた。ファルクの声は静かで低めのトーンだが不思議と聞き取りやすい。好きな声だな、とノクスは思う。用意した果物を小さな皿に取り分けて男の手のひらに持たせると、ノクスは寝台の側に置いてある丸椅子へと腰かけるとファルクに向き合った。 「これはおれだけみたい。おれたち『オオカミ』に異能とかはふつうないんだよ。昔本当の獣だった頃の習慣が力として残ったのかなって家族たちが言ってた。……本当は、使っちゃいけなかったんだけど、ファルクはとても危ない状態だったから。目の前で誰かが苦しみながら死ぬのはあまり見たくないんだよ。騎士なのに情けないけど……」  そう返事をしながら、ノクスはファルクのために出した果物を一かけらつまんで頬張る。冬に瑞々しい果物を食べることはできないので、その甘いけれど硬い贅沢な感触を楽しんでいるうちについつい笑顔になってしまう。  ラケからは注意しすぎるくらい注意しろと言われているものの、他の成人した『オオカミ』達と一緒にいる時よりも気を張らなくて済むので、ノクスはこうやってファルクの話し相手になるのを楽しんだ。ファルクの両腕には彼の瞳の色と同じ翡翠色の腕輪が嵌められていて、初めて見たその宝石を綺麗だとも思った。
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