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三島由紀夫
主人公――三島由季夫のモデル。
本編では、生き方に悩む繊細な少年として描かれている。
1925(大正14年)生まれ。東京都出身。
1970(昭和45年)、割腹自殺により死去。享年45。
本名は平岡公威(ひらおかきみたけ)。
幼い頃は、祖母の趣味である谷崎潤一郎、泉鏡花などを読んだ。
少年時代は芥川龍之介、志賀直哉、中原中也、室生犀星、佐藤春夫、堀辰雄、梶井基次郎、森鴎外など多数の作品を読んだ。
師は川端康成。
堀辰雄の家を訪ね、「シンプルになれ」という助言を受けている。
谷崎潤一郎をノーベル賞へ推薦した。
太宰治の酒宴へ参加したことがある。その場で森鴎外についての意見を求めると、太宰は「森鴎外なんて小説家じゃねえよ。軍服姿の写真を堂々と撮らせていらあ。何だい、ありゃ」と言った。それに対し三島は、「どこが悪いのか」と反論し、森について語るが、酔っぱらった太宰はまともに取り合わず、会話は噛み合わなかった。
三島はその宴会で、「僕は太宰さんの文学は嫌いなんです」と本人を前に明言した。太宰は「嫌いなら来なけりゃいいじゃねえか」と顔を背け、誰に言うでもなく「そんなこと言ったってこうして来てるんだから、やっぱり好きなんだよな」と言った。気まずくなった三島はその場を離れた――というエピソードが残っている。
ボディビルの練習をしていた。
作家なのにどうしてボディビルをしているのかと訊かれ、三島は「僕は死ぬときに切腹するんだ。切腹してさ、脂身が出ると嫌だろう」と答えた。
剣道の経験がある。
最期の日、三島は自衛隊の総督を人質にして駐屯地へ立て籠もった。その後、バルコニーから檄文を撒き、自衛隊の決起を促す演説をした直後に、自殺した。これを三島事件という。
介錯に使われたのは「関孫六」という名刀で、三島の自慢の刀だった。
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