小林多喜二

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小林多喜二

キャラクター――小林多喜司のモデル。 本編では、志賀を慕う無口な青年として描かれている。 1903(明治36年)生まれ。秋田県出身。 1933(昭和8年)、特高による拷問の末死去。享年29。 プロレタリア文学の代表者。 志賀直哉の作品で文学を学んだ。 何度も手紙を出し、自著「蟹工船」を送ったことも。しかし、実際に会ったのは一度のみ。奈良の家を訪ね、思想を押し付けるでもなく、大人しい様子で、志賀とその息子を含めた三人で遊園地へ行ったり、話をしたりして、一晩泊まって帰ったという。 性格は明るく、話し好き。 貧しい家に生まれ、幼少時から権力や抑圧者への反抗心が強かった。 日本共産党に入党し、地下活動を行う。 非常に母思いであり、地下潜入後も原稿料を送っていた。 作品で特高の残虐性を暴露したり、大財閥と帝国軍の癒着を告発したため、特高からはかなりの恨みを買った。何度か拘束されては保釈されている。 その最期は凄惨なものである。共産青年同盟に潜入していた特高側のスパイから赤坂の連絡場所で落ち合おうと提案されたが、無論待っていたのは張り込んでいた特高だった。小林は20分にわたる逃亡の末、捕縛される。その後、3時間の拷問を受け、殺された。持久戦で転向させる気などなく、明確な殺意のもとに殺害されたが、築地署は「短時間では自供しないと判断して、外部からの材料を集めてから取り調べようと一旦留置所に入れたが、間もなく苦悶を始め、重体になったので入院させた。署としては何の手落ちもなかった」と説明した。後に死因は心臓麻痺と発表されたが、拷問死であるという事実は、体の状態から見ても明らかだった。 小林の命日である2月20日は、志賀の誕生日でもある。
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