志賀直哉

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志賀直哉

キャラクター――志賀直也のモデル。 本編では、三島由季夫を支え、組織の支柱を担う、重要なポジションの青年として描かれている。 1883(明治16年)生まれ。宮城県出身。 1971(昭和46年)、肺炎と老衰により死去。享年88。 白樺派を代表する作家。小説の神様とも呼ばれる。 武者小路実篤とは親友の間柄。学習院中等科以来の付き合い。二度の落第の末、同学年となる。 谷崎潤一郎とは友人関係。 芥川龍之介からは「最も純粋な小説」を書くと、菊池寛からは「最も傑出した作家の一人」と評されている。 夏目漱石を慕っており、武者小路を介して連載を依頼されたことがある。しかし、執筆が思う様に進まず、夏目宅で直接辞退を申し出る。夏目に不義理を働いたと、三年間休筆するほどの懸想っぷり。 小林多喜二とは交流があった。出獄後の小林を家に泊めたり、息子と三人で遊園地に遊びに行ったことも。彼の死の際にはお悔やみ状を送り、特高を恐れた文学界が沈黙する中で唯一「前途ある作家としても実に惜しく、又お会いしたことは一度でありますが人間として親しい感じを持って居ります。不自然なる御死去の様子を考えアンタンたる気持ちになりました」と記した。 太宰治とは対立関係にあった。作品や当人に対して何度か批判的なことを言っている。 趣味は将棋、歌舞伎、映画など。 自転車を愛用しており、人力車が主流の時代に、どこへ行くにも自転車を使った。 食通で、特に寿司が好物。虫も好んで食べた。 山手線に轢かれた事があるが、ぴんぴんしていた。 生涯での引っ越し回数は26回。 挨拶代わりに「失敬」をよく使い、これには「こんにちは」「いらっしゃい」「失礼します」「初めまして」「さようなら」まで全ての意味を含んでいた。 創作活動に没頭しすぎるあまり、被害妄想が強くなり、25歳の頃から神経衰弱に陥っている。 友達沈溺の人物だったが、途中で付き合いに疲労し、関係を断ったことも。人嫌いの癖に寂しがり屋だった。 父親とは足尾銅山事件の見解で衝突し、長らく絶縁状態となっていた。 無宗教家。
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