月明かりの下で見たもの

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 僕は、霊感がかなり強い。  こんなことを言うと、痛い奴と思われるかも知れないが……事実なのだから仕方ない。  実際、霊感などあったとしても何も得しない。外を歩いていれば、週に二度は霊と遭遇してしまう。会いたくもない霊に会ってしまう……これは、体験した者でなくてはわからないだろう。   しかも、時には向こうから話しかけて来ることもある。が、ほとんどの場合、僕は彼らが何を言っているのかわからない。彼らの語る言葉は、音として伝わって来ないのだ。  これは、はっきり言ってシャレにならない。  想像してみて欲しい。友達もしくは彼女と、どこかのレストランにいて楽しく食事をしていた時……いきなり、視界の端に霊が出現する。奴はレストラン内を徘徊し、何かを探し始める。  この時、決して目を合わせてはならない。彼らが探しているもの……それは、霊の存在を感知できる人間だ。もし、霊感のある人間だと気付かれたら最後である。彼らは僕の前に来て、執拗に何かを訴えかけて来るのだ。これは、非常に困る。友人らと楽しく食事をしているのに、見ず知らずの霊が身振り手振りを交えながら、聞こえない言葉で必死で話しかけてくるのだから……。  しかも、霊はまともな形をしているとは限らない。時には、血まみれの者が来ることもある。一番ひどかったのは、上司と飲んでいる時に下半身がちぎれた女の霊がこちらに向かって来た時だ。僕は我慢できず、トイレに駆け込んで吐いてしまった。おかげで、場をかなり白けさせてしまったのを今も覚えている。  彼らは恐らく、何かして欲しいことがあるのだと思う。心残りな問題があって、それを解決して欲しい……だが、僕には彼らの言葉を聞く力がない。だから、何もしてあげられない。  霊感など、ない方がいい。生者と死者は、交わってはいけないのだ。  ある日のことだった。  その日は、祝日であり会社は休みだ。昼過ぎに目を覚ました僕は、溜まった家事を片付けていた。あちこちを掃除し、ついでに押し入れの中など普段見ない場所をチェックする。  不意に、インターホンが鳴った。いったい誰だろうか……僕は、 首を捻りながらドアを開けた。 「よう、大島。突然で悪いんだけど、ちょっといいかな?」  いきなり聞いて来た男……それは、僕の友人の渡辺健一(ワタナベ ケンイチ)だった。 「あれ、ナベちゃん。いいよいいよ、入んな」  僕は戸惑いながらも、彼を招き入れた。  ナベちゃんこと渡辺は、僕の小学生時代からの友人である。気が荒く乱暴な部分はあったが、義理人情に厚く友達思いな男だ。僕も、何度か彼には助けてもらっている。  明るくて豪快であり、見るからに体育会系の渡辺。一方、根っからのインドア文化系である僕。一見すると水と油の僕たちだが、なぜか気が合い、今に至るまで付き合いは続いている。実際、彼はとても付き合いやすい男だ。短所も多いが、長所も多い……そんなタイプである。  しかし、今目の前にいる渡辺は、妙に浮かない顔つきだった。何かあったのだろうか? そもそも、事前に連絡もせずにいきなり現れるような男ではないはずなのだが。  ちょっと困惑気味な僕に向かい、渡辺は口を開いた。 「悪いな、いきなり押しかけて。ところで、お前にひとつ聞きたいことがあるんだよ」 「えっ、何?」 「お前さ、だいぶ前に霊感があるって言ってたよな。あれ、本当か?」  いきなり何を言っているのだろうか。  幼い頃、確かにそんなことを渡辺に言った記憶はある。だが、その後の僕は霊感があるということを、一切口にしなくなった。霊という存在は、霊感がない人にはどう足掻いても見えない。見えない人に実在することを説明するのは、非常に難しい。  少なくとも、僕は無理だった。霊感があるなどと言ったところで、単なる痛い奴と思われることの方が多い。だから、僕は霊の話題を出来るだけ避けるようにしている。  僕が霊感があることを知っている知人は、ほとんどいないはずだった。なのに、霊感とはもっとも遠い存在の渡辺から、そんなことを聞かれるとは。  どうしようか、一瞬迷った。だが、今日のこの男の様子から判断するに、なにやら困ったことになっているようだ。となると、霊感などない……というわけにもいかない。 「少しはあるみたい。たまに見えたりするから。まあ、有名な霊能者に比べりゃ雑魚レベルだろうけど」  仕方ないので、曖昧な返事をしておいた。 「そうか。ところで、今日は暇か? これから何か予定はあんのか?」 「えっ? 暇といえば暇だけど」  僕が答えると、渡辺は口元に引き攣った笑みを浮かべた。 「急で申し訳ないんだがな、今から一緒に来てくれないか?」 「どこに?」  逆に聞き返した。何事があったのかは知らないが、どうも態度がおかしい。連絡も無しにいきなり押しかけてきて、一緒に来てくれ……とは、どういうことなのだろう。学生の頃ならいざ知らず、社会人になれば訳のわからん場所にホイホイ行くわけにもいかない。  その時、渡辺の目が泳いだ。一瞬の間が空いた後、彼は言った。 「実はな、霊が出る場所があるらしい。どうしても行ってみたいんだよ。ここから車で一時間もかからない場所だ。頼むよ、俺を助けると思ってさ」  狐につままれたような気分、とはこのことだろう。オカルテッィクなものとは全く無縁の渡辺が、心霊スポットに行きたいと言い出すとは。 「別に構わないけど……なんか事情でもあるの?」  またしても、間が空く。しばしの沈黙の後、思い詰めた表情で口を開いた。 「そこには霊が出るらしいんだがな、姿形が俺の知り合いに妙に似てるんだよ。もしかして、その知り合いが死んだ後に霊になっているんじゃないかと思ってさ。けど、俺には霊感がない。ひとりで行ったって、何も見えないさ。けど、お前なら見えるかもしれない。だから、ちょっと付き合って欲しいんだよ。頼む」  そう言うと、両手を合わせて拝むような仕草で頭を下げる。  こうなると、さすがに断りづらい。仕方なく、同行することにした。  車に乗っている間、渡辺はほとんど喋らなかった。心なしか、緊張しているような雰囲気も感じ取れる。この男、普段はムードメイカーのはずだが、今日は貝のように口を閉じている。おかげで、車内は重苦しい空気に包まれていた。  しかも、その心霊スポットに到着したのは二時間後だった。 「ここだよ」  車を停めた渡辺は、ぼそっと言ってドアを開けた。僕はホッとしながら、彼の後から降りる。外は既に暗く、空には月が出ている。  そして着いた場所は……一言で言うと、サスペンスドラマのラストシーンに登場しそうな場所だった。切り立った崖の上に僕らは立っており、下は見えない。一応、崖っぷちには柵らしき物が設置されているが、大人の膝くらいまでの高さしかない。これでどれだけの事故を防げるのだろう。少なくとも、自殺をしようとしている人間なら、簡単に乗り越えられる高さだ。  そんなことを思った時、僕の視界に何者かの姿が映った。  それは、宙に浮いていた。僕らからはかなり距離があるため、細かい特徴はわからない。だが、間違いなく霊がいる。月明かりの下で、じっとこちらを見ている。   僕は視線を合わせないよう注意しつつ、渡辺の耳元でささやいた。 「霊がいた」  その瞬間、渡辺の表情が一変した。キョロキョロと周りを見回す。 「ほ、本当か? どんな奴だ?」 「ちょっと遠くて、はっきりとは見えない。でも、間違いなく崖の向こうにいる。宙に浮いているよ」  それを聞いた渡辺は、恐ろしい形相で歩き出した。どんどん崖に近づいて行く。僕は思わず舌打ちした。こいつは、何を考えてるんだ。 「ちょっと待てよ。何をする気だ?」  だが、渡辺は止まらない。歩き続けて、崖っぷちに着いてしまった。こうなっては仕方ない。僕も、彼の後を追った。必然的に、霊との距離は縮まる。  近づくにつれ、霊の姿が徐々に見えてきた。顔の形はよく見えないが、金髪のショートカットの女だ……ただし、頭の半分は砕けている。血とも土とも判別しがたい汚れが全身に付着しており、しかも手足はぐにゃぐにゃに折れ曲がっている。  恐らく、この崖から落ちたのだろう。 「金髪のショートカットだ。たぶん女。あとは、体があちこち曲がっててよくわからない。なあ、もう帰ろうぜ」  僕は、彼の腕を引いた。あの霊は、他のものとは違う気がすねる。これ以上、ここにとどまれば、どうなるかわからない。  次の瞬間、予想もつかないことが起きた。渡辺がくすくす笑い出したのだ。 「いや、すげえな。お前、本当に霊感あるんだな。大したもんだよ。俺の目には、何も見えないのに」  こいつは何を言っている? 僕は困惑した。その時になって、霊の姿がある人物に似ていることに気づく。  もう一度、目をこらして霊の顔を見る。頭の半分は砕けているが、残りの半分には見覚えがある。 「あれ、希ちゃんに似てるぞ……」  僕は愕然となった。  香苗希(カナエ ノゾミ)は、渡辺の彼女である。渡辺を通じて知り合ったのだが、最近ではいろいろ相談を受けることもあった。  そのひとつが、渡辺の嫉妬深さだ── 「ナベちゃん、どういうことだよ……」  言いながら、僕は振り返る。  すると、いきなり胸を平手で突かれた。強烈な一撃をもろにくらい、僕はバランスを崩す。  柵を超え、真っ逆さまに下へと落ちていった──  死ぬまでの僅かな時間に、僕はやっと気づく。  あいつは、僕たちの関係を知っていたのだ。  ・・・  渡辺は、落ちていく大島を見下ろしながら呟いた。 「親友の彼女を寝取るような奴は、死んで当然なんだよ」
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