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一方的な運命
「……この差し出された手はなんですか」
「俺と付き合って欲しいんだ!」
状況を整理しよう。
私達はつい十分ぐらい前に出会ったばかりだ。しかもあらかじめ約束していたわけでもない。
地方から都会に向かうために乗り慣れていない電車を乗り継ぎ、休日ゆえか流されそうになるくらいの人混みにくじけそうになったりしながらも何とか最寄り駅に辿り着いたまではよかった。地図を持っていながら現在地からどう目的地を目指せばいいのかわからなくなってしまい、たまたま近くを通りがかったこの男に道を尋ねた。
完全に見た目だけだがおちゃらけた雰囲気はなく、髪色が黒なのも相まってか、真面目さと落ち着いた格好良さを漂わせていたので、都会に慣れていない人間には声をかけやすかった。
彼は、まるでこちらの事情を見抜いているかのような親切さとわかりやすさで目的地までの道筋を語ってくれた。それは本当に感謝している。心からの礼を告げて再び見知らぬ男女に戻る――そのはずだった。
「待ってくれ!」
真剣な声で呼び止められたから、つい振り返ってしまった。それが間違いだった。なぜなら、先の展開が待ち受けていたからだった……。
「ええと、意味がわかりかねます」
「わからない? ならもう一度言おうか、俺と――」
「さよなら」
こういう輩は無視をするに限る。自分の目的のために慣れない遠出をして、予想以上に疲れていたと思えばいい。というか顔はそこそこ整っているのに、これが俗にいう「残念なイケメン」というやつだろうか。
「だから待って、待ってくれって!」
後ろに引っ張られて転びそうになった。
……もう、遠慮する必要はないだろう。
「だからなんなの!? 大体、出会って数分で付き合って欲しいとかありえるわけないじゃない! さっさと手を離しなさいよ!」
「いやだね」
もはや、絶句するしかなかった。
この男の頭はどうなっている? 思考回路を覗いてみたくなる。いや、そんなことをしたら確実に影響されて自分もおかしくなりそうだ。
そう失礼な考えを並べてしまうくらい、今の展開には衝撃しかなかった。
「君には見えないのか?」
切れ長気味の目をうっとりと閉じて、男は告げる。
「……アンタの馬鹿な顔しか見えない」
「俺には見える。君と俺との間にある……いや、もともとあったのが芽生えたのかも知れない」
何言ってんだこいつ。
本気で手を振り払いたいが存外に力が強くてびくともしない。
「君は俺の好みなんだ」
故意か不意か、道を訊ねた時のような顔つきに戻って口説くのは卑怯だ。勢いが削がれてしまった。
「腰の真ん中まで伸びた綺麗な黒髪、猫目気味の瞳、知的な声……どれも俺の好みなんだよ」
髪は友人に何度か言われた経験があるものの、それ以外は誇張しすぎで背筋の痒くなるような甘言ばかりで、頭痛がしてくる。
「運命……もう、そうとしかいいようがない。俺達は出逢うべき運命だったんだよ!」
ふと気づけば周りから好奇と怪訝混じりの視線を集めている。一気に羞恥が限界値まで上がった。
どうしてこんな目に遭わないといけないの。私が何をしたっていうの。罰を受けるような後ろめたいことは何もしていないのに!
「ほら、俺と君の運命が交わって……嬉しそうにダンスをしているのが見えるだろ?」
「っいい、加減にしなさいっ!」
ついに耐えられなくなって、渾身の力を込めて腕を引き寄せた。
今度は成功した。やっと、やっと解放された!
「いろいろ面倒だからこのことは忘れておいてあげるわ……」
すかさず距離をとって、少しだけ残念そうな素振りの男を思いきり睨みつける。
「だから、もう私に余計なことしないで。後をつけてきたりしたら、警察に突き出してやるから!」
足早にこの場を去る。早く、この場所に来た目的――数カ月前から楽しみにしていた絵画鑑賞で思いっきり癒やされることにしよう。
「逃さないから」
「君は俺の運命の人。やっと見つけたんだ」
「覚悟するんだね――」
だから、そう背中に投げかけられた台詞も忘れることにした。
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