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終止符は突然に
自己責任だったけど、掛け違えたボタンに気づかないフリをしながら恋を優先させるのは、ただ苦しいだけだった。
思い返せば、私の恋はいつもそんなのばかりだ。まるで幸せを望むなと呪いをかけられている気分になる。
いっそ、このままでいるべきなのかもしれない。
そうすれば、これ以上の不幸は始まらない。
「付き合ってた人がいたの」
なぜ私は、こんなことを話してしまっているんだろう。
「その人は結婚してた。でも、私を好きでいてくれた」
全身を黒い服で覆った気持ちで行きつけのバーのカウンターで一人酒を堪能して、頃合いをみて帰るはずだった。
「……ただの、彼の逃げ場のひとつに過ぎなかっただけって知ってて、見ないフリをしてたの」
たとえ誰かに言い寄られても相手にしないつもりだった。
なのに、かけられた声があまりにも優しくて、底の見えない海のような雰囲気と悟りながらも、気づいた時にはほとんど身を預けていた。
抗えないのはどうして? 普段でも、初対面の人に馴れ馴れしい態度は絶対に取らないのに。
「本当に、好きだったんだね」
グラスを掴む手に、力が入る。
「愛してやまなかったんだ」
咎めるわけでも、わざとらしい同情を向けるわけでもなく、相槌だけが返ってくる。
「でも、苦しいだけの恋も今回限りだよ。これから絶対、君だけが好きだって言ってくれる人に出会える」
私は初めて、隣に腰掛けていた人間の顔を見つめた。
――ああ、ああ。
「……あ、すみません。初めてお会いしたのに、いろいろ言い過ぎましたね」
私は反射的に首を振った。わずかに目を見開いた彼は開花のように破顔する。
「僕のこと、覚えててくれたんだ?」
なんてこと。私は二度も、彼に助けられていたんだ。
「前に、泣いてた私を助けてくれました」
あの人と許されない関係を続けて、離れるべきとわかっているのにできない苦しみに板挟みになって、街中にもかかわらず涙が止まらなくなってしまった私に、彼は今日と同じように、隣に座って付き添ってくれた。
名前も告げずに去ってしまった彼が忘れられなかった。頭の片隅で、目の前の笑顔がひっそりと息づいていた。
「あり、がとう。私、ちゃんとお礼を言いたかったの」
今なら、抗えずこぼしてしまった理由もわかる。
「私が、あの関係を終わらせられたのも……あなたの、おかげかもしれない」
甘いしかない悪夢をようやく振りきれた、そんな心地だった。
「そんなことを、言ってもらえるなんて」
目の前の救世主は驚きのあまり硬直しているようだった。
「あのとき……僕は、助けておきながら逃げるしかないと思ったんだ。君に、一目惚れしてしまったから」
苦笑する彼は、改めてまっすぐに私を見つめてきた。
――あの人は、こんなふうに一途に視線を注いでくれたことがあっただろうか。
「でも、再会できて嬉しかった。助けられてよかった。偶然に感謝しないといけないね」
冷え切った身体に熱が染み込んでいく。複雑に絡み合った糸のようだった感情が、ゆっくりとほどけていく。
「……ごめん。さっきあんなこと言ったのは完全に僕の願望なんだ。今すぐそうなりたいってわけじゃない、でも諦めきれなくて」
あたたかなこの感情が恋だとは断言できないし、したくない。一時的な拠り所を求めている可能性だって考えられるし、少しでもそう感じてしまったら自分自身を許せなくなる。
それでも。
「……友人からでよければ、お付き合いしていただけますか」
掛け違えたままのボタンに気づかないフリを続けてきたのは、この人に直してもらうためだったのかもしれない。
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