途中切符

1/1
2人が本棚に入れています
本棚に追加
/19ページ

途中切符

 握りしめていた切符の矢印の先に、行き先はなかった。  トンネルを抜けた先も、懐古さを覚えるようになった自然ばかりの風景が広がっているはずだった。  校舎だった。茶色の割合が圧倒的な、走ればぎしぎしと音を立てる廊下に立っている目線にいた。 「あっ、お前こんなとこにいたのかよ! 早く外で野球しようぜ!」  短髪の少年が手を伸ばす。意識は引っ張られていないと認識しているのに、アングルは廊下を駆け抜け、先生の注意を耳に受けながら校舎を飛び出す。  その先には、白い壁が待っていた。  首を左右に振ると、壁でないとわかった。横に長いボードに、数桁の数字が等間隔に並んでいる。それを見上げる目線だった。 「や、った……! 合格した!」  背後で歓喜に溢れた声が響く。  頭の隅に押し込めていた記憶がじわりと蘇る。自分の番号は掲載されていない。すべり止めで受けた別の大学に進んだのだ。  人混みを押し分けて、悲喜交交の空間をあくまで徒歩で抜け、正門をくぐる。  目の前に、一人の可憐な女子がうつむきがちに座っていた。 「ごめん、なさい……私、本当に最低なことをした……」  今になって他の男に贈られたものとわかった、ノンホールのピアスが耳元で揺れている。続きを聞きたくなくて「あの男が好きなんだろ」と先回りしたかったのに、声が出ない。 「でも、私、あの人が好きなの、どうしようもないの。だから……本当に、ごめんなさい」  財布から取り出した千円札を置いて、彼女だった女は目の前からいなくなった。  大学生にして初めての恋愛は、第三者の横槍であえなく終了した。  その後も過去が順繰りに流れていく。  楽しかったのは地元で過ごした高校時代までだ。それからは、多分心から笑ったことはない。  変わらず手の中にある切符を、改めて見つめる。  また、光景が切り替わる。 「生きてれば、絶対いいことが起きるから」  穢れ一つないベッドに横たわった、一番の友人が独り言のようにつぶやく。  積極的に、野球に誘ってくれるほど活発だった頃の面影は、見る影もない。身体を縛るように伸びたいくつもの管が生命をかろうじて繋いでいると思うと、いたたまれない。  改めて対峙しても、同じ感想しか浮かばなかった。 「お前は理不尽な目に遭っても、ヤケ起こしたりしなかっただろ? 気づいてないだけで、強いんだよ」  唇を噛みしめる。それは彼の存在があったからだ。独りになった今、いくら目を凝らしても闇しか映らない。  成長しても変わらない、茶の強い双眸が泣きそうに歪んだ。 「俺は身体がなくなるだけで、近くで見張ってるぞ? 転げ落ちそうになっても、今までみたいにちゃんと引き戻してやるから。約束するよ」  視界が開けた。眠気を誘う揺れがいつの間にかなくなっていた。  財布から切符を取り出す。矢印の先に、細い黒字で目的地が記載されていた。  ――転げ落ちたらもう、立ち上がることはできない。  切符をジーンズのポケットに入れていると、車内アナウンスに気づく。点検に異常がみられたためにしばらく停車すると告げていた。  妙な違和感を覚えて、荷物はそのままに車外へ飛び出す。すぐ目に飛び込んできた柱に貼られた駅名を、何度も何度も読み返す。  切符にある駅では、なかった。  ホームの端までふらふらと足を運び、目的地の方向を見つめる。聞こえてくる歓声はかすかでも、容赦なく鼓膜を打つ。 「……もしかして、あなたも、ですか?」  右を向くと、黒い長髪の女性が立っていた。美人に加え陽炎のような儚さが、高価な宝石のように手を出しづらい雰囲気を作り上げている。 「だったんですが、止められちゃいました」  荷物を取りに戻りながら、あの切符の行き先が空欄だった意味を改めて考える。  友人の言葉を予言していたのだろうか。 「あの。もしよろしければ……少し、私と話しませんか?」  この出会いがあるから足を止めろ。そう訴えたかったのだろうか。
/19ページ

最初のコメントを投稿しよう!