一章 探偵部、おかしな先輩

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「あの先輩」とぼくは声をかけた。 「コナン・ドイルの凄いところはやな──ってなんや、キョウ。お前も語りたいんか」 「いや、そういうことじゃないんですけど、まだ質問したいこともありますので」 「でもなあ、まだ説明しやなあかん話がたくさんあるし……」 「そこをなんとか」  先輩は考える素振りを見せたあと、 「よし、わかった。キョウの言う通りにしよう。俺が懐のでかい男で良かったなあ」  懐の大きな人は自分の懐が大きと理解していない。よって先輩の懐はカバンのポケットくらい小さい。 「で、訊きたいことってなんや」 「ええっと、依頼人って来たことあるんですか?」  それがずっと疑問だった。こういってはなんだが、探偵部なんていう胡散臭い部活に、誰が相談なんてくるんだろうか。 「あほ、キョウ。舐めたらあかんぞ。そこそこ繁盛してる。俺のエラリー・クイーンばりの論理的推理でな」 「論理的推理ですか? それはボケですか?」 「あほぬかせ。見た目も知的な喋り方もまるでエラリー・クイーンの生き写しやないかい」 「クイーンはあほぬかせなんて言わなさそうですけど……」 「ああ言えばこう言う後輩やな、ほんま。まあまあ好評やねんで、この部活」 「そうですかぁ」  どうも嘘くさい。でも先輩は自信満々だし、本当のことなんだろうか? 少し期待してしまう。先輩の言うようにクイーンばりの推理を見せてくれるのなら、この部活に入った意味がそれだけでもある。  ぼくはごくりと唾を飲み込んだ。「じゃあ先輩は、小説を読んでいて犯人が解ったことがありますか」  先輩はぴしゃりと言った。「一つもない!」  ぼくはなにも言えなかった。  先輩にさよならを言い、ぼくたちは部室を出た。今日は初日だし、顔合わせだけですぐに終わった。一つもない! と言ったときの先輩の顔が、妙に印象深かった。  靴を履き替え、昇降口を出ると歩き出した。 「なあキョウ」と涼ちゃんは言った。 「なに?」 「家に帰ったらさ、おすすめの小説を貸してくれよ」 「えっ、ほ、本当に!?」 「おおう、そんな嘘つかねえよ」ぼくの食いつきように、涼ちゃんは少々驚いていた。「で、貸してくれるのか?」 「う、うん、もちろん! もちろんだよ!」ぼくは笑顔で喜びの声を上げた。 「なんだ、大袈裟だな」 「涼ちゃんが読んでくれるのが嬉しんだよ」 「でも、あくまで入門者におすすめで頼むぞ。いきなり難しいのは勘弁する」 「うん、わかったよ」  入門者におすすめか……、なにがいいだろう。とりあえず、三冊ほど見繕ってみようかな。  ぼくは家に帰ってくるとそうそうに部屋に戻り、腕を組み本棚の前に立った。  三冊か。さあ、どれを選ぼうかな?  やっぱり、ぼくの大好きな『占星術殺人事件』は入れたい。はじまり数十ページの梅沢平吉の手記には、少々面食らうかも知れないけど、その他は初心者やマニアでも充分に楽しめる。  探偵役である御手洗さんの見つけ出した答えに必ず驚愕するはずだ。  海外作家の作品も、一つくらい入れたいけど、翻訳ものというのはどうしても読み辛い。なら長編ではなく、短編の方がいいように思う。  短編で、面白い作品──ああ、あれだ。ぴったりのものがある。  ぼくは本棚から、『シャーロック・ホームズの冒険』を取り出した。言わずと知れた名作。コナン・ドイルの代表作と断言してもいいだろう。これに決まりだ。  密室ものも抑えたいところだけど、悩むなあ。なにがいいだろう? 刺青殺人事件? 本陣殺人事件? 赤い密室?  密室ものの名作は沢山あるから、悩むところではあるけど、ぼくがもっとも密室トリックで衝撃を受けた、『すべてがFになる』を選出することにした。  とりあえず、この三冊を渡してみよう。きっと気に入ってくれるはずだ。  ぼくは本を持って部屋の外へ出た。涼ちゃんの部屋をノックしたけど、いないようだった。居間に下りてみると、涼ちゃんはソファーに座りテレビを見ていた。  テレビでは好きな漫才師がネタをやっていたけど、まずはこの三冊を渡すのが先だ。 「涼ちゃん」とぼくは声をかけた。 「なんだ、キョウ」 「これ、ぼくなりに三つほど選んでみたんだ」ぼくは涼ちゃんに本を差し出した。 「選んでくれたんだ、ありがとう」涼ちゃんは本を受けると、笑った。「これがキョウがおすすめする、本格ミステリーか」 「おおっ、さっそく、本格ミステリーって使ってるね」  涼ちゃんは照れたように笑った。「まあな。推理小説って何度も言ってたら、薬師寺さんに怒られそうだし」 「それもそうだね」 「さっそく今日、読ませてもらうよ」と涼ちゃんは三冊の本に目を落とし言った。「どれから読もうかな……」 「どれからでもいいとは思うよ」 「そうか。なら、この占星術殺人事件ってのを読んでみるよ」 「おお、占星術殺人事件! 見る目があるよ涼ちゃん!」 「そ、そうか? えらい喜びようだな。まあ、読ませてもらうよ」 「うん」 「そういえば、キョウもこの芸人好きだっただろう?」と涼ちゃんはテレビを指差し言った。テレビからは、観客の大爆笑が聞こえてくる。 「好きだよ」 「なら、ソファーに座って見れば?」涼ちゃんは隣をポンポンと手で叩いた。 「そうだね、そうしようかな!」ぼくはそう提案されたのが嬉しくて、声を大きくした。  ぼくは涼ちゃんの隣に座り、漫才を見た。  やっていたネタは初出しのもので、ぼくは得した気分になった。なんだか、今日はいいことが多かった気がする。  ぼくと涼ちゃんは、テレビを見ながら腹を抱え笑った。
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