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「おどれぇ舐めとったら鉛玉食らわすどぉ!」
部室の扉を開けようとしていると、怒号が聞こえてきた。
先輩の声だ。
ぼくと涼ちゃんは顔を見合わせた。なにかあったのだろうか。とても物騒なことを言っているが……。
「口ないんかゴラァ! しゃきしゃき喋らんかい! そないワシのパンチが好きなんかァ!?」
口汚い関西弁が今も聞こえる。
怖いけど、ここでたじろいでいるわけにはいかない。ぼくは意をけして扉を開けてみることにした。中で物騒なことが起こっているなら、止めないわけにもいかない。
でも、部室にしたのは先輩だけだった。
「おどれがやったことは割れてんや、さっさと吐かんかい! それとももっといたぶって欲しいんか、オオン!」
鬼のような形相をして凄い剣幕だったけど、誰もいないところに指をさし、まくし立てていた。見えないものが見えているのか、演技でもしているのか、頭がおかしくなったのか。
「なにしてるんですか……」とぼくは声をかけた。
先輩はぴたりと動きを止め、こちらを見た。表情は普段どおりに戻っていた。まるで憑き物が落ちたようである。
先輩は言った。「いま書いている小説の推理シーンを、確認のために演じてみたんや。実演してみて、見えてくることもあるからな」
「推理シーンにしては、相手を恫喝していたような……」
「ああ、あれは、全ての謎を解いて最後の大詰めのシーンやから。チンピラ探偵っていう設定やから、ああして任侠映画みたいなセリフを言わせてんねん」
「怖い探偵ですね……」
「やろ、今までそんな探偵いやんかったんちゃう」
涼ちゃんは言った。「色々考えてるんすねえ。私は任侠映画好きだし、有りだと思いますけどね」
意外と肯定的であった。
「わかってんやん、涼子! せやろ、せやろ」先輩は嬉しそうに笑顔で何度も頷いた「よし、特別に涼子には日本の本格ミステリーの歴史について話したるっ」
「えっ」涼ちゃんはびっくりした様子で口を開けた。無理もないことだった。
「まあまあ先輩、それはまた後でいいじゃないですか」とぼくは助け舟を出した。
涼ちゃんは安心したようにぼくを見た。
「そ、そうか?」
「そうですよ。ほら、先輩もいつまでも立っていないなで座りましょう」
ぼくと涼ちゃんが座ると、先輩も渋々と座った。涼ちゃんは小声でありがとうと言った。
「気にしないで。あの様子だと、いつまでも語ってそうだしね」
「言えてる……」
先輩は椅子にふんぞり返り、腹の上に手を組み、面白くなさそうに椅子を動かしていた。よほど語りたかったらしい。
「ミステリーを語りたいとき、先輩はいつもどうしてるんですか?」とぼくはふと気になり訊ねた。
「自分の部屋で話してるな」
「え? 部屋でですか? 家族に話してるってことですかね」
「いや、ちゃう。俺一人や。俺一人で話してんねん。そうしたら別の俺が相槌打ったり、俺の最高なボケに鋭いツッコミを入れたりするんやな、それがおもろくて、ふふ」
ぼくは顔を引きつらせるだけで、言葉が出なかった。部屋で一人、ミステリーを語っている先輩を想像すると、恐ろしくもあったけど面白かった。けれど家族からしてみれば気が気ではないだろう。部屋で一人ミステリーを語り、ときにボケてツッコミくすくす笑う息子。
先輩はぼくの反応に訝しげな顔を浮かべていた。追求されそうだったので、誤魔化そうと口を開こうとしていると、ノックが三度あった。
ぼくは扉を見た。
三度のノックは、確か依頼人。
えっ、本当に依頼人? なにかの間違いなんじゃあ……。
ぼくは扉から先輩に目を移す。先輩は扉の先を見つめ、片唇を釣り上げ、にたりと笑っていた。こんな笑みを、きっと部屋で一人浮かべているに違いない。
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