一章 探偵部、おかしな先輩

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「おどれぇ舐めとったら鉛玉食らわすどぉ!」  部室の扉を開けようとしていると、怒号が聞こえてきた。  先輩の声だ。  ぼくと涼ちゃんは顔を見合わせた。なにかあったのだろうか。とても物騒なことを言っているが……。 「口ないんかゴラァ! しゃきしゃき喋らんかい! そないワシのパンチが好きなんかァ!?」  口汚い関西弁が今も聞こえる。  怖いけど、ここでたじろいでいるわけにはいかない。ぼくは意をけして扉を開けてみることにした。中で物騒なことが起こっているなら、止めないわけにもいかない。  でも、部室にしたのは先輩だけだった。 「おどれがやったことは割れてんや、さっさと吐かんかい! それとももっといたぶって欲しいんか、オオン!」  鬼のような形相をして凄い剣幕だったけど、誰もいないところに指をさし、まくし立てていた。見えないものが見えているのか、演技でもしているのか、頭がおかしくなったのか。 「なにしてるんですか……」とぼくは声をかけた。  先輩はぴたりと動きを止め、こちらを見た。表情は普段どおりに戻っていた。まるで憑き物が落ちたようである。  先輩は言った。「いま書いている小説の推理シーンを、確認のために演じてみたんや。実演してみて、見えてくることもあるからな」 「推理シーンにしては、相手を恫喝していたような……」 「ああ、あれは、全ての謎を解いて最後の大詰めのシーンやから。チンピラ探偵っていう設定やから、ああして任侠映画みたいなセリフを言わせてんねん」 「怖い探偵ですね……」 「やろ、今までそんな探偵いやんかったんちゃう」  涼ちゃんは言った。「色々考えてるんすねえ。私は任侠映画好きだし、有りだと思いますけどね」  意外と肯定的であった。 「わかってんやん、涼子! せやろ、せやろ」先輩は嬉しそうに笑顔で何度も頷いた「よし、特別に涼子には日本の本格ミステリーの歴史について話したるっ」 「えっ」涼ちゃんはびっくりした様子で口を開けた。無理もないことだった。 「まあまあ先輩、それはまた後でいいじゃないですか」とぼくは助け舟を出した。  涼ちゃんは安心したようにぼくを見た。 「そ、そうか?」 「そうですよ。ほら、先輩もいつまでも立っていないなで座りましょう」  ぼくと涼ちゃんが座ると、先輩も渋々と座った。涼ちゃんは小声でありがとうと言った。 「気にしないで。あの様子だと、いつまでも語ってそうだしね」 「言えてる……」  先輩は椅子にふんぞり返り、腹の上に手を組み、面白くなさそうに椅子を動かしていた。よほど語りたかったらしい。 「ミステリーを語りたいとき、先輩はいつもどうしてるんですか?」とぼくはふと気になり訊ねた。 「自分の部屋で話してるな」 「え? 部屋でですか? 家族に話してるってことですかね」 「いや、ちゃう。俺一人や。俺一人で話してんねん。そうしたら別の俺が相槌打ったり、俺の最高なボケに鋭いツッコミを入れたりするんやな、それがおもろくて、ふふ」  ぼくは顔を引きつらせるだけで、言葉が出なかった。部屋で一人、ミステリーを語っている先輩を想像すると、恐ろしくもあったけど面白かった。けれど家族からしてみれば気が気ではないだろう。部屋で一人ミステリーを語り、ときにボケてツッコミくすくす笑う息子。  先輩はぼくの反応に訝しげな顔を浮かべていた。追求されそうだったので、誤魔化そうと口を開こうとしていると、ノックが三度あった。  ぼくは扉を見た。  三度のノックは、確か依頼人。  えっ、本当に依頼人? なにかの間違いなんじゃあ……。  ぼくは扉から先輩に目を移す。先輩は扉の先を見つめ、片唇を釣り上げ、にたりと笑っていた。こんな笑みを、きっと部屋で一人浮かべているに違いない。
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