二章 スマホのパスワードは?

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 桜井さんは言った。「春馬さんはバンドをやっていて、プロを目指してたけど、それも両親には反対されていたみたいで。そう簡単に叶うものじゃないし、食っていけるかもわからないのにって」 「そうなんですか……」とぼくは呟くように言った。他人事のような気がしなかったからだ。先輩も腕を組み、こくこくと頷いていた。 「既に解散しちゃったけど、以前、所属してたバンドではインディーズでCDも出てたいたの。ボーカルをしていて、喉のケアのためにエアコンもつけなかった。熱い日も寒い日もね。CDもけっこう売れていたみたいなんだけど、やっぱり認めてもらえなくて……可哀想に……」 「でも」と先輩は言った。「でも、俺やったら燃えるけどなぁ。見とれよ〜ジジイがあーって」 「春馬さんも似たようなことを言っていたわ。いつか認めてもらえるように頑張るって」 「そうなんですか……」とぼくはまた、呟くように言った。  先輩も春馬さんも強いなって思う。  ぼくの親は、やりたいことをやればいいと言ってくれていて、賞を取った時も賛成も反対もしなかった。ぼくが春馬さんの立場なら、ストレスで嫌になっていたはずだ。認めてもらうぞ! と反骨精神なんて湧かなかったかも知れない。  桜井さんはスマホを持ち、胸の前に出すと、 「そういった両親だったから、お互い二台、スマホを持つことにしたの。なにかの拍子に気づかれないために」 「なるほど、二つ目のスマホで連絡を取り合うわけですね。デートで写真を撮るのもそのスマホで」と先輩は言った。  桜井さんはスマホをもう一度机に置くと言った。「そうなの。なんだか、二人の秘密みたいで嬉しかったわ」 「ですが、なんでロックを解除したいんですか? 浮気調査のため?」 「いいえ、違うわ」桜井さんは首を振った。  そこで沈黙が生まれた。桜井さんは顔をうつむかせ、手をモジモジと動かしていた。なにかを持て余しているような、そんな感じ。  そして少しして、意を決したように顔を上げた。 「実は春馬さんは亡くなってしまったの。事故を起こして……」 「えっ」と涼ちゃん驚きの声を上げた。  ぼくも、思わず声をもらした。  先輩は腕を組み、真剣な顔を浮かべ黙り込んでいた。もしくは、桜井さんの表情を観察しているのかも知れない。  先刻まで楽しそうに春馬さんのことを話していたのに、不思議な感覚だった。亡くなっていたとは……。  思えば、会話に過去形が多かったのはそのためだったのか。  嫌な沈黙が流れていたが、それを先輩が打ち破った。 「事故を起こしたのはいつなんですか?」 「去年の十二月よ」桜井さんは暗い顔をして、視線を少し下げた。「ライブハウスへ向かうために峠道を運転していたら、居眠りでもしていたのか、ガードレールに突っ込んでしまったの。車は下へ落ちてしまった」 「居眠りということは、ブレーキ痕がなかったんですか?」 「そうなの」 「睡眠不足だったんですか?」 「そこまでは解らないわ」 「事件性はなかったということですね」  桜井さんは力強く頷いた。先輩は机にあるスマホに目を落とすと、指をさし、 「でもスマホは傷ついていないようですね」と言った。  ぼくと涼ちゃんは顔を近づけスマホを観察した。  確かにそんな様子はなかった。なんの変哲もない。ポケットに入れていたため、傷つかずにすんだのだろうか?  桜井さんは言った。「普段使っているスマホは駄目になっちゃったんだけど、これは私が持っていたから助かったの」 「なんで持っていたんですか」とぼくは訊いた。 「音楽を入れておいてくれって頼まれていたの」と桜井さんはスマホを愛おしそうに撫でながら言った。慈しむような視線を注いでいた。「春馬さん、あまりパソコンが得意ではなかったし、私のお父さんが、『Bee Gees』ていうグループのベスト・アルバムを持っていて、その歌を入れて欲しいと頼まれていたの」 「ああ、Bee Geesですか……」  ぼくは、Bee Geesが多数、楽曲提供したサタデー・ナイト・フィーバーという映画を思い出していた。この場は、フィーバーとは程遠い雰囲気にあるが。  けどあの映画も、ディスコを題材にしているものの、青春の暗い側面を持つ映画だった。  先輩は言った。「では、春馬さんのご両親はそのスマホの存在について知らないんですね」 「そう、知らない。だから堂々と携帯会社にも頼めなくて」と桜井さんは言った。「お願い、このスマホを開いて思い出を取り出したいの。親には頼めないし、ここならもしかしたらって思って……」 「期待してくれているわけですね」 「その通りよ」 「嬉しいなあ」と先輩は言った。「少しスマホ貸してもらえませんか?」 「ええどうぞ」  桜井さんは先輩にスマホを授けた。 「ありがとうございます」  先輩はそう言うと、カバーを開きスマホの画面を起動した。ぼくと涼ちゃんも画面を覗き込んだ。 「ん?」と先輩は不思議そうに声を出した。  ぼくも先輩と同じ気持ちだった。  ロック解除入力の画面を映し出していたが、キーボードは“数字ではなく日本話入力になっていた”。通常、スマホのロック解除は、数字かアルファベットを入力しなければならない。よって、キーボードは数字入力か英字入力だけで、日本語入力のキーボードは表示されないようになっている。  なのに日本語入力のキーボードが映し出されていた。 「そのスマホは、日本語のパスワードでも設定できるみたいなの」と桜井さんは言った。 「へえ、珍しいなあ。日本語なんや」 「パスワードは日本語で間違いないと思うわ。春馬さんもそう言っていたし。文章なのか、文字の羅列かは解らないけど……」 「いや、きっと文章でしょうね」と先輩は断言した。「数字ではありませんし、必ず意味を持たせてあるはずです。英語のように、イニシャルだけで構成してあるとも思えませんしね」 「ああ、なるほど……」 「これは記号などは不可能なんですか? ましてや絵文字なんかも」 「絵文字はダメね、記号は!(ビックリ)とかなら大丈夫だと思う。句読点も。数字や英字を組み合わせることはできない。文字は、漢字とひらがなとカタカナを使うことができる」 「なるほどなあ」
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