二章 スマホのパスワードは?

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 三作目のプロットのことや、パスワードのことや、どんなホラー映画を見せようかと考えていると、あっという間にお昼休みになった。  自販機でココアでも買おうと思い、ぼくは教室を出た。  渡り廊下を歩いていると、中庭のベンチに座っている先輩を発見した。イヤホンで歌を聞きながら足を組み、遠い目をしていた。きっとパスワードのことを考えているんだと思う。  ぼくは先輩のもとへ向かった。隣に腰かけると、先輩はようやく気がつき、こちらを見ると嬉しそうに笑った。イヤホンを外すと、 「おひさしブリーフ、キョウ!」と言った。  おひさしブリーフには触れず、ぼくは言った。「なにを聴いてるんです?」 「長渕剛の夢破れてっていう曲」 「ず、随分と渋い曲を聴いてるんですね」 「ええ曲やぞぉ〜これ〜。キョウも聴いたら絶対泣くわ」 「覚えておきます」とぼくは言った。「なにか考え事でもしていたんですか」 「まあな」先輩は足を組みなおし言った。スラリと伸びた足をしていた。 「パスワードのことですか?」 「それもある。それもあるけど、今書いてる小説のことをな。ちょっと行き詰まってて。これはほんまに面白いんやろか、とか、賞を取れるレベルなんか? とか」 「そうですか……」  当然ではあるけど、先輩も悩んでいるんだ。きっと、こうして夢を見て足掻いてる人は、誰もが悩んでいるんだろう。ぼくもやっと撃鉄が落とされ、銃声が鳴り響きレースが始まったところだ。  勝負も不安も、始まったばかり。 「キョウは行き詰まったとき、どうしてる?」 「ぼくは、映画を観たり小説を読んだりしますかね、気分転換にもなりますし。そこでなにか着想を得るかも知れませんしね。先輩は?」 「俺は考える。ひたすら考える」 「それでも思いつかなければ?」 「考えて考えて考えまくる。そうしてたら、いい案が出てくんねん」  先輩はそう言うと笑った。  タフな人だなって思う。逃げず立ち止まらず、戦おうというのだ。僕には、とてもじゃないけど真似できない。 「俺のチンピラ探偵ウケるかな〜」 「チンピラ探偵、けっこう面白そうじゃないですか。読んでみたいなって思いますよ」 「ほ、ほんとか?」 「はい。これで謎が魅力的なら、なおさら」 「おお! 謎はな、けっこう奇想やと思うねん──」  先輩はそのあと、自分が書いている小説のことを嬉しそうに話し出した。夢中になり、自分の作品を愛しているのがひしひしと伝わった。  先輩は本当に創作が好きなのだな。今のぼくだと、気持ちで先輩に負けているかも知れない。書き始めた当初のように、最近は純粋に楽しめていないんだ。辛くて、悩んで、そんな自分を殺したいほど憎くなる。  ぼくは心の中でため息をつき、空を見上げた。綺麗な綺麗な青空が広がり、ぼくがちっぽけだということに、気づかせてくれた。  放課後になり部室に向かうと、先輩はデスクの椅子に座らず、立っていた。 「どうしたんです」とぼくは訊いた。 「今日は活動休みにしようかと思ってな。それを伝えよう思って」 「休みにするんですか」と涼ちゃんは言った。 「せや。それでな、実は桜井さんが、ナイスマイルの元メンバーの人と連絡を取ってくれて、明日の土曜日に会えることになってん」 「さっそくですか」 「嬉しい限りやで。なにやら、またバンドを始めたらしくてな、ライブハウスに向かってくれって言われたわ。時間を指定されて」 「へえ、またバンドを……」 「それで、できたらでええんやけどさ、あしたって予定開いてる?」 「ぼくは別にありませんよ」とぼくは答えた。  涼ちゃんも「大丈夫です」と頷いた。 「そうか。じゃあすまんけど、今日の代わりに部活動はあしたにってことで頼むわ」 「ええ、わかりました」  先輩は申し訳なさそうに言った。「ブラック部活って思わんといてや」 「ブラック部活って。なんだか言い辛いですね」 「やな。自分で言っといてそう思ったわ」  ぼくと先輩は笑った。でも涼ちゃんはくすりとも笑わなかった。笑いに厳しい方なのだ。 「でも、わざわざ休みにしなくてもいいんじゃないですか」とぼくは訊ねた。  先輩は面目なさそうに笑いながら頬を掻いた。「いやあ、今日はカラオケに行きたいと思ってな。やから休みにして今から乗り込もうと」 「へえ、カラオケに」 「俺、長渕の夢破れてって歌聞いてたやろ。それで歌いたくなってな」 「カラオケ、いいですね」と涼ちゃんは羨ましそうに言った「友達と行くんですか?」 「いいや、一人やで」 「えっ、あっ……そうなんですか」と涼ちゃんはなにかを察したように言った。「楽しそうでいいですね……」  一人カラオケに行くなんて、先輩は強者だな……、と涼ちゃんは思っているに違いない。ぼくはどうとは思はないけど、世間の目から見れば先輩は寂しい人の分類に入るのだろう。  先輩は涼ちゃんの察した表情するに察することなく、嬉しそうに話している。世間の目から見れば、哀れな人の分類に入るのだろう。
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