27人が本棚に入れています
本棚に追加
/50ページ
『こんなものを残すのは、少々恥ずかしい気もする。けど、知ってもらいたい。ただの自己満足だが、私とハルとのことを。最後にハルと会えて、私は感謝している。それこそ、怨みに怨んだ神様に、私はありがとうと言いたい。私に病気を授けた神様に。
幸せというのは、パンケーキに砂糖をまぶすように地球にばらまかれ、私たちはアリのようにそれを求めるものだと思う。時にはもぎ取らなければならないだろう。
だが、大半の人物は振り分けられる砂糖の量があらかた決まっている。
残念ながら私は得られなかった。この世に生を受けたこと、それすらが幸福なことだと人は言うかも知れない。しかしながら、とても自分のことを幸せだとは思えない。
二十六にして私は余命宣告を受けた。医師は悲しげに眉を八の字にし、余命があと二年であることを告げた。
わからない、わからない、わからない。
どうして、たった二年で死ななければならないのか。
数年前に知った音楽。遅咲きではあったが、まわりからは評価を得た。プロになれるんじゃないかと思いを巡らせていた。
だが、そんな夢は音を立てて崩れた。あと二年で死ぬのだ、たった二年で。
結婚もできないだろう。親に子供の顔を見せることもできない。
私はただ、神様を憎むことしかできなかった。
ウォリックという名のバーで、私は酒に酔っていた。
病気への憤りや悲しみ、恐怖は酒が和らげてくれる。たとえ仮初だとしてもだ。病人に酒は禁物? そんなの知ったことではなかった。
焼酎やウイスキーにふらふらになりながら、私はバーを出た。見上げてみると、星々で夜空はきらめいていた。私も死ねば星になり、ああして輝くのだろうか。
私は数歩進んだところで、その場にしゃがみ込んでしまった。頭はハンマーで叩きつけられているかのように揺れ、喉の奥からは虫が這って出てくるような不快感。
壁に頭をつけ、気を落ち着つけようとした。私の横を通る人たちは、座り込んでいる人物に目もくれなかった。
だがそういうものだろう。誰が酔っ払いに絡みたがるというのか。
しかし、ハルは違った。
深呼吸をして、立ち上がろうとしていると、声をかけられた。
「もし、大丈夫ですか? どうかしましたか?」
私は顔を上げてみた。声をかけたもの好きはいったい誰なのか。
歳は私と同じくらいだろうか。気の優しそうな青年だった。人の痛みがわかりそうな、そんな雰囲気がある。
私が口を開こうとしていると、その青年は「あっ!」と驚きと当惑の声を上げた。
「もしかして、秋里じゃないか……?」
私は疑問符を浮かべた。なぜ名前を知っているのか。私に名札を下げる趣味はない。
なら、知り合いだということだろうか?
そういえば、私もこの青年を見たことがある気がした。いったいどこで──?
私はとりあえず、頷いて秋里だということを伝えた。
「やっぱそうか、こんな酔ってしまって……。なあ、俺の部屋にくるか? ここから近いんだよ。それとも自力で帰れるか?」
私はなんとか口を動かし、頼むよと言った。
この青年は泥棒を働くような輩でもないだろうし、私の事を知っていることもあって安心できた。
青年は私の腕を肩にまわし、歩き出した。
「なんだ、兄ちゃん、酔っぱらいの介護かあ?」と赤い顔をしたサラリーマンが声をかけてきた。このサラリーマンも酔っ払っていた。
「ええ、まあ」と青年は答えた。
「へっ、酒に呑まれたやつなんてえ、捨ててちまえばいいんだよ、みんなそうするぞお、酔っぱらいに絡んで得することなんてないからなぁ」
「なるほど、だからあなたは一人なのか」
サラリーマンは目を細め、意味を考えていたが、やっと気づき怒鳴り声を上げた頃には、私たちは遠くまで歩いていた。
私は薄れゆく意識の中、考えていた。
なんだか、こういった場面をどこかで見たことがある気がする。男が酔っぱらい、親切な人物に介抱され、その親切な人物は話していた輩に皮肉を言うと、立ち去る。
いったい何だろうか? ──ああ、そうか……。チャンドラーの長いお別れか。あの物語も、探偵のフィリップ・マーロウが、酔っぱらっているテリー・レノックスを介抱してやるところから始まる。
私は納得し満足すると、意識を失った。泥のように眠った。
最初のコメントを投稿しよう!