三章 ハルとアキ

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 一週間前に迫ったライブのため、私たちは練習を続けなければならない。  ハルとはあまり会話もなく、暗い雰囲気の中、作業は進んだ。  言いたいことや伝えたいことは沢山あって心の中で蠢いているのに、声には出せなかった。こんなにもどかしい思いをしたのは、初めてだった。  そんな日が何日も続いた。 「あしたは、とうとうライブだな」  とハルは言った。静かな、暗い声だった。 「そうだな」 「とりあえず、現状、出せるものを出そう」 「ああ」 「最高のライブにしてみせるよ」  ハルは力強く、私の目を見て言った。決意というものを感じた。悲しみと怒りがうねる瞳だった。  私も力強く頷いた。  トップバッターは私たちだった。  休日ということもあり、隙間がないほど客は入っていた。  私には緊張がなかった。それはハルも同じなのかも知れない。ただ最高の音楽を届けるという想いだけだった。  ハルは軽い挨拶をして、曲のタイトルを告げた。 『だから明日に向かって』  意図せず、そんな皮肉めいた題名だった。  ハルは私の目を見て、合図すると演奏を始めた。力を込め、熱を込め、ギターを弾く。ついで私もアルペジオで演奏に入る。  自分でもわかった。今日は今までのどの日とも違う。  命を持つように音色が踊っていた。  体験したことない感覚だ。  ハルは歌い始めた。突き抜ける音圧と迫力。それに関わらず、人の心を無垢に過ぎ去っていく綺麗な声。ハルも、どのライブのときよりも磨きがかかっていた。  ハルは顔を歪め感情を込め歌っていく。誰かを殺してしまいそうなほどの情熱。私も負けずヒートアップした。  客は両手を上げ燃え上がっていた。私たちの歌に激しくうねっていた。  ハルはもっともっと感情を込めていく。喜怒哀楽。全てが詰まっていた。  心が叫んでいるようだった。  最後に叫んでいるようだった。  私もハルも終わりを感じ、しゃかりきに命を燃やした。だからこそできる、パフォーマンスだった。  私は、たまらなくなって泣いた。こんな素晴らしい演奏ができた喜び、もうハルとは音楽ができない悲しみ。これが最後だ。もうこの感覚は味わえないんだ。  まだまだ叫びたいのに。  俺は死んでしまうんだ。  どんなに叫んでも、その事実は変わらないことだった。  俺は泣いた。涙は止まることなく、流れるままに落ちていった。  俺は泣いた。俺は泣き続けた。  客の興奮が収まらぬなか、私たちははけていった。  ハルは肩で息し、黒い天井を見つめていた。いったいどこを見つめているんだろうか?  私はタオルで、汗と涙をふいた。  客の盛り上がっている声が聞こえる。  でも私たちには届かなかった。お互いの吐息だけを感じている。  ハルは私を見た。私もハルを見つめた。 「なあ、アキ」 「なんだ」 「俺は、ずっとお前のそばにいるから」 「ハル……」 「とりあえず、それだけは言いたくさ」  ハルは薄く笑った。涙が溢れそうになっているのを私は見た。  私はタオルで目頭を押さえ、涙をふいた。 「ありがとう、ハル……」  ハルの暖かさに触れていると、私の考えていたことを実行しようと勇気づけてくれた。きっかけをくれた。  これからが病気が本格化してくる。音楽も続けられず、薬漬けの日々は疲れる。いつまでも病気に恐怖し、震えているわけにはいかない。  なら、二十七で死のう。二十七で死んでしまおう。ケリをつけるんだ。私はそう決意した。  ハルはまた天井を見つめていた。数秒間そうしたあと、夕陽を見て黄昏るように言った。 「──俺たち、プロになれたかもな」  小さな声の、悲しい叫びだった。  私はなにも言わず、涙を流しながらこくりと頷いた。         二千十七年 六月十一日 新田秋里 』
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