三章 ハルとアキ

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 夕食を食べ終わり、部屋で秋里さんと春馬さんのことを考えていると、編集者の谷山さんから電話がかかってきた。  先日、三作目のプロットを渡したため、きっとそのことだろう。  電話に出てみると、やはりプロットのことだった。  悪くはないが、良くもないと谷山さんは言う。無難に仕上げている、と。二作目もその傾向にあったから、鎖を外せと。  確かに、それはぼくも思っていた。突き抜けるものがないなと。わざとそうしていると言ったほうがいいのかも知れない。  ぼくは、もう少し練ってみますと返答した。谷山さんは、待ってるからねと、暖かい言葉をくれた。  だが、どう練ればいいのだろう?  ぼくはスマホを机に置くと、天井を仰ぎ見た。  もっともっと新人らしく、挑戦的で前衛的な……。  頭を捻ってみても浮かばなかった。まあ、そうすぐ思いつけば、苦労はないのだけど。  ため息をついていると、ノックがあった。返事をしてみると、涼ちゃんの声が返ってきた。  どうしたんだろう? お風呂が空いたことを伝えに来てくれたのだろうか?  ぼくはどうぞと言った。  涼ちゃんは入ってくると、扉を閉めた。 「どうしたの?」とぼくは訊ねた。 「まあ、ちょっとな……」  涼ちゃんはベットに腰かけると、眉間に皺を寄せ足を組んだ。怒ってるわけではないと思うけど。  ぼくはイスを動かし体を向けた。  涼ちゃんは言った。「あのさ、月夜の殺人っていう本を読んだんだよ」 「つ、月夜の殺人を……」  ぼくのデビュー作を読んだのか……。ぼくは悲鳴を上げそうになったけど、なんとか抑え平静を装った。 「キョウは読んだことあるか」 「あ、あるよ。でも、なんで涼ちゃんが知ってるの? その小説は最近のだし、マイナーだと思うんだけど」 「薬師寺さんに教えてもらったんだよ。おすすめだからって」  やっぱりあの人か……。  先輩が悪い顔をしているのが、容易に想像できた。この場にいないのに楽しんでやがる。 「面白かった?」とぼくは気になり訊ねた。 「ああ、うん。面白かったぞ。楽しめた」 「そ、そう」  楽しめたのか。良かった……。これで、けちょんけちょんに言われてしまえば、泣き出していたかも知れない。  涼ちゃんは足を組み直すと、 「それでさ、キョウ」と言った。 「なに?」 「これを書いたのはキョウなのか?」  ぼくは固まった。  思いもよらない言葉だった。不意打ちの言葉だった。  ぼくの中で、なにかが止まった。だけど心臓はドキドキしてうるさかった。頬に熱を帯びていくのがわかる。冷や汗をかいているのもわかった。  落ち着け、落ち着こう── 「どうして、そう思うの」とぼくは感情を殺し言った。「先輩がそう言っていたの」 「いや、違うんだ。ただなんとく、キョウを感じたというか……」 「ぼくを?」 「へ、変な意味じゃないぞ!」と涼ちゃんは慌てて両手を振った。「ただ、キョウが好きそうなのが詰まってるなあって思って。出てくる探偵も、なんだかキョウと似てる気がするしよ」 「ぼくと? 桃山ももじは、けっこう渋いほうだと思うんだけど」 「それはそうなんだけど、似てるんだよなあ」  ぼくはゴクリと唾を飲んだ。「どんなところが?」 「優しくて、傷つきやすいところとか……。人を想いやるところとか、かなあ」涼ちゃんはそこまで言うと顔を赤くし、「い、いや、ただ何となくだぞ! な、ん、と、な、く!」 「そう、なんだ──」  似ている、か……。それは嬉しいなあ……。  顔を下に向け、照れるように頬を緩めた。ぼくは感動していた。  桃山ももじは、ぼくの理想を書いたつもりだった。ぼくとは全然違う、強くて熱くて優しい男を書いたつもりだった。なのに、似ている、か──  涼ちゃんは、ぼくを見てくれているんだな。普通なら、そんなことは思わないはずなのに。ぼくをちゃんと見てくれているからこそ、気づいてくれた。  そのことも嬉しい。本を書いていて良かった。 「ど、どうしたんだキョウ」  ぼくは顔を上げ、 「ううん、なんでも」と言った。 「そ、そうか。まあ、違うよな、キョウと。そんなわけないか」涼ちゃんはそう言うと笑った。  ぼくはこくりと頷いた。 「ねえ、二作目は読んだ?」 「読んだけど」 「どうだった」 「面白かったよ」と涼ちゃんは言った。「けど、なんだろう、もっと捻って欲しかったかな。コンパクトにまとまって読みやすかったけど、物足りなかった」  やはりそうなのか。読んだ人にも、無難に仕上げていると伝わっているんだ。  もっと挑戦的で前衛的な、か──。  でも、ぼくの面白いが、他の人にとっての面白いなのかはわからない。難しい問題だった。  その問題をぼくは解けるのだろう? 「その作者の三作目が出れば、涼ちゃんは買う?」とぼくは訊いた。緊張で胸は張り裂けそうになっていた。 「うん、買うと思うな。ああだこうだ言ったけど二作目も面白かったし、あの探偵も好きだし」  ぼくはほっとして笑顔を見せた。「そう! 良かったよ!」 「なにが良かったんだ?」  涼ちゃんは困惑していた。ぼくは誤魔化しの笑みを浮かべ、首を振った。  いけない、いけない。自分から疑われるようなことを言ってどうするんだ。  用件はもうすんだのかと思ったけど、そうではないようだった。立ち上がろうとせず、探るようにぼくの顔を覗いていた。  ぼくは訊ねた。「どうしたの」 「あっ、いや、あのさ。春馬さんのことなんだけど」 「春馬さんの? なにかパスワードについて思いついたの?」 「そうじゃないんだ、そうじゃ」涼ちゃんは言い辛そうにうつむいた。そして少しの沈黙のあと、顔を上げると、 「──春馬さんは本当に事故だったんかな」  ぼくは体を固くした。「どういうこと」 「ほら、二人はとても仲が良かっただろ? もしかしたらさ、春馬さんは秋里さんのあとを追ったんじゃないかと思って……」 「あとを……」  涼ちゃんの言う通り、それは有り得る話だろう。けど事故と判断された。桜井さんだって、自殺とは疑ってはいなかった。春馬さんの様子に変わりがなかったからだろう。  無理に平静を装っていたということも考えられるが── 「ふと頭に過ぎっただけだからさ、確信はないんだけどな」 「そうだね」とぼくは言った。「本当のところは、もうわかりはしないんだよ」  涼ちゃんは寂しそうな顔を見せた。「そうだな……」
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