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夕食を食べ終わり、部屋で秋里さんと春馬さんのことを考えていると、編集者の谷山さんから電話がかかってきた。
先日、三作目のプロットを渡したため、きっとそのことだろう。
電話に出てみると、やはりプロットのことだった。
悪くはないが、良くもないと谷山さんは言う。無難に仕上げている、と。二作目もその傾向にあったから、鎖を外せと。
確かに、それはぼくも思っていた。突き抜けるものがないなと。わざとそうしていると言ったほうがいいのかも知れない。
ぼくは、もう少し練ってみますと返答した。谷山さんは、待ってるからねと、暖かい言葉をくれた。
だが、どう練ればいいのだろう?
ぼくはスマホを机に置くと、天井を仰ぎ見た。
もっともっと新人らしく、挑戦的で前衛的な……。
頭を捻ってみても浮かばなかった。まあ、そうすぐ思いつけば、苦労はないのだけど。
ため息をついていると、ノックがあった。返事をしてみると、涼ちゃんの声が返ってきた。
どうしたんだろう? お風呂が空いたことを伝えに来てくれたのだろうか?
ぼくはどうぞと言った。
涼ちゃんは入ってくると、扉を閉めた。
「どうしたの?」とぼくは訊ねた。
「まあ、ちょっとな……」
涼ちゃんはベットに腰かけると、眉間に皺を寄せ足を組んだ。怒ってるわけではないと思うけど。
ぼくはイスを動かし体を向けた。
涼ちゃんは言った。「あのさ、月夜の殺人っていう本を読んだんだよ」
「つ、月夜の殺人を……」
ぼくのデビュー作を読んだのか……。ぼくは悲鳴を上げそうになったけど、なんとか抑え平静を装った。
「キョウは読んだことあるか」
「あ、あるよ。でも、なんで涼ちゃんが知ってるの? その小説は最近のだし、マイナーだと思うんだけど」
「薬師寺さんに教えてもらったんだよ。おすすめだからって」
やっぱりあの人か……。
先輩が悪い顔をしているのが、容易に想像できた。この場にいないのに楽しんでやがる。
「面白かった?」とぼくは気になり訊ねた。
「ああ、うん。面白かったぞ。楽しめた」
「そ、そう」
楽しめたのか。良かった……。これで、けちょんけちょんに言われてしまえば、泣き出していたかも知れない。
涼ちゃんは足を組み直すと、
「それでさ、キョウ」と言った。
「なに?」
「これを書いたのはキョウなのか?」
ぼくは固まった。
思いもよらない言葉だった。不意打ちの言葉だった。
ぼくの中で、なにかが止まった。だけど心臓はドキドキしてうるさかった。頬に熱を帯びていくのがわかる。冷や汗をかいているのもわかった。
落ち着け、落ち着こう──
「どうして、そう思うの」とぼくは感情を殺し言った。「先輩がそう言っていたの」
「いや、違うんだ。ただなんとく、キョウを感じたというか……」
「ぼくを?」
「へ、変な意味じゃないぞ!」と涼ちゃんは慌てて両手を振った。「ただ、キョウが好きそうなのが詰まってるなあって思って。出てくる探偵も、なんだかキョウと似てる気がするしよ」
「ぼくと? 桃山ももじは、けっこう渋いほうだと思うんだけど」
「それはそうなんだけど、似てるんだよなあ」
ぼくはゴクリと唾を飲んだ。「どんなところが?」
「優しくて、傷つきやすいところとか……。人を想いやるところとか、かなあ」涼ちゃんはそこまで言うと顔を赤くし、「い、いや、ただ何となくだぞ! な、ん、と、な、く!」
「そう、なんだ──」
似ている、か……。それは嬉しいなあ……。
顔を下に向け、照れるように頬を緩めた。ぼくは感動していた。
桃山ももじは、ぼくの理想を書いたつもりだった。ぼくとは全然違う、強くて熱くて優しい男を書いたつもりだった。なのに、似ている、か──
涼ちゃんは、ぼくを見てくれているんだな。普通なら、そんなことは思わないはずなのに。ぼくをちゃんと見てくれているからこそ、気づいてくれた。
そのことも嬉しい。本を書いていて良かった。
「ど、どうしたんだキョウ」
ぼくは顔を上げ、
「ううん、なんでも」と言った。
「そ、そうか。まあ、違うよな、キョウと。そんなわけないか」涼ちゃんはそう言うと笑った。
ぼくはこくりと頷いた。
「ねえ、二作目は読んだ?」
「読んだけど」
「どうだった」
「面白かったよ」と涼ちゃんは言った。「けど、なんだろう、もっと捻って欲しかったかな。コンパクトにまとまって読みやすかったけど、物足りなかった」
やはりそうなのか。読んだ人にも、無難に仕上げていると伝わっているんだ。
もっと挑戦的で前衛的な、か──。
でも、ぼくの面白いが、他の人にとっての面白いなのかはわからない。難しい問題だった。
その問題をぼくは解けるのだろう?
「その作者の三作目が出れば、涼ちゃんは買う?」とぼくは訊いた。緊張で胸は張り裂けそうになっていた。
「うん、買うと思うな。ああだこうだ言ったけど二作目も面白かったし、あの探偵も好きだし」
ぼくはほっとして笑顔を見せた。「そう! 良かったよ!」
「なにが良かったんだ?」
涼ちゃんは困惑していた。ぼくは誤魔化しの笑みを浮かべ、首を振った。
いけない、いけない。自分から疑われるようなことを言ってどうするんだ。
用件はもうすんだのかと思ったけど、そうではないようだった。立ち上がろうとせず、探るようにぼくの顔を覗いていた。
ぼくは訊ねた。「どうしたの」
「あっ、いや、あのさ。春馬さんのことなんだけど」
「春馬さんの? なにかパスワードについて思いついたの?」
「そうじゃないんだ、そうじゃ」涼ちゃんは言い辛そうにうつむいた。そして少しの沈黙のあと、顔を上げると、
「──春馬さんは本当に事故だったんかな」
ぼくは体を固くした。「どういうこと」
「ほら、二人はとても仲が良かっただろ? もしかしたらさ、春馬さんは秋里さんのあとを追ったんじゃないかと思って……」
「あとを……」
涼ちゃんの言う通り、それは有り得る話だろう。けど事故と判断された。桜井さんだって、自殺とは疑ってはいなかった。春馬さんの様子に変わりがなかったからだろう。
無理に平静を装っていたということも考えられるが──
「ふと頭に過ぎっただけだからさ、確信はないんだけどな」
「そうだね」とぼくは言った。「本当のところは、もうわかりはしないんだよ」
涼ちゃんは寂しそうな顔を見せた。「そうだな……」
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