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先輩はメロンソーダを一口含むと、話し出した。
「秋里さんは自殺する間際、コーヒーを飲んだよな? そのマグカップがどこの位置にあったか覚えてる?」
「はい、覚えています」とぼくは答えた。「玄関扉から見て、奥側ですよね。窓側というか」
「そうやな。その位置にあったな」と先輩は頷いた。「でも、おかしいと思わへんか?」
「なにがです?」
「普通、座るなら“手前側やないか”? キッチンでコーヒーを入れ、わざわざ奥へと回り込んで座るんやで? 手前で座ればええと思わんか」
「ああ……確かに」
「それに、その位置やと“テレビに背を向けるかたちになるよな”。なんでそんな位置で座ったんやろ? 思い描いてほしい。みんなが座るとすれば、どこに座る?」
「テレビが見れるように、座りますね。窓の景色も見えますし、わざわざ背を向けるようなことはしないですかね。遠回りして座るのも億劫ですし」
涼ちゃんも頷き、
「私もそうですね……」と言った。
「やろ。座るなんていう動作は、無意識や。それなら、近くでしかもテレビが見える手前側に座ると思うねん。なんで奥側に座ってん?」
「でも、深い意味はないかも知れませんよ」
「そやな。その可能性ももちろんある」と先輩は言った。「けど、こう考えればどうやろ。“その場に誰かががいたとすれば”」
ぼくは体を緊張させた。「誰かが……」
「せや。お客がいたら、奥側に座っててもおかしいはないわな。あの部屋の性質上、窓の景色が見える位置が上座にあたる。お客を上座に座らせるのは、普通のことや。まあ、上座うんぬんは関係ないかも知れんけど、あの場に誰かがいれば、秋里さんが奥側に座るのも納得できると思わんか?」
「確かに」とぼくは言った。涼ちゃんも顎に手をやり、神妙な面持ちで頷いた。
「それに、部屋は綺麗にされていたよな。自殺するにあたって、秋里さんは部屋の掃除をおこなった。でも、マグカップだけは洗われず、テーブルに置いてあったな。
俺はこう考えた。“ここにいたのは、自分一人だと強調するためやないかって”。相手に迷惑をかけへんためにな」
「じゃあ、そのお客さんは、秋里さんが自殺することを知っていたんですか?」
「おそらく。たまたま訪ねてきたというのも考えにくい。それなら、自殺する前に秋里さんと会話したと名乗り上げる奴が現れるはずや」
「それもそうですね」と涼ちゃんは言った。「でも、誰が?」
「問題はそこや。いったい誰なのか」と先輩は相槌を打った。「そこで思い出してほしい。秋里さんが亡くなられたのは、八月三日。真夏やな。でも、部屋にはクーラーがついてなかった。死ぬ前に消したのか? でも、警察の調べでは、朝からつけてなかったという」
「それがなにか関係があるんですか?」
「忘れたか?」と先輩は言った。「春馬さんは“喉のケアのために、エアコンは一切つけへんらしいやないか”」
「え……それって、じゃあ……」
先輩は頷いた。「あの場に、春馬さんがいた可能性が高い」
ぼくと涼ちゃんは言葉を失っていた。
春馬さんが、あの場にいた? では、秋里さんが自殺することを知っていたのか。
「おそらく、秋里さんは春馬さんに自殺することを告げたんやろ。もしかしたら、最後を見届けてほしいと言ったのかも知れん。一人では心細いからと」
「そんな──」と涼ちゃんは呟いた。
「春馬さんは、秋里さんに最後までそばにいるからと、バーで言ってたらしいな。それは文字通りの意味やった。最後までそばにいると」
「春馬さんは、了承したってことですね……」と涼ちゃんは言った。
「そうなるな。あの秋里さんが残した物語を読めば、二人の友情は固いことがわかる。最後に友を望むことを叶えたいと思ってもおかしくはない。春馬さんが、どんな心境やったんかは、わからんけどな」
「そうすっよね……。嬉々として、見届けてたわけじゃないだろし。きっと春馬さんも辛かったはず──」
「友の頼みといえどな」
先輩は疲れたように息をつくと、ぼくらを見据えた。
「秋里さんの隣人が、ギターの音を聞いたと証言してたよな? 俺は思った。これは、春馬さんが最後に“愛のロマンスを弾いたんやないか”って」
「……愛のロマンスをですか」
「春馬さんがもっとも好きやった曲やからな。これで送り出そうとしたのかも知れん」と先輩は言った。「それで、俺は確認を取りに行った。バーのあと用事あるって言ったのは、これの確認のためや」
「そう、だったんですか」
「隣人に愛のロマンスを聴いてもらったら、〈そう、この曲だよ〉って言った。〈間違いない、この曲がずっと気になっていたんだ〉って。
秋里さんは、愛のロマンスを弾けへん。やっぱり春馬さんはいたと、これで証明することができた」
「首を吊る前に、弾いたんでしょうか」
「どうやろ。そこまでは解らなんな。もしかしたら、首を吊る最中も弾いていたんかも知れん……」
ぼくは暗い気持ちになった。
──暗い、寂れた一室で首を吊る男。そこに愛のロマンスが鳴り響く。けっして友は演奏をやめることなく、弾き続ける。
やがて体は動かなくなり、演奏も終わる──そっと、静かに──
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