一章 探偵部、おかしな先輩

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 ホームルームが終わり、ぼくはカバンを持つと立ち上がった。 「なんだ、どこか行くのか? 帰らないのか?」と後ろの席にいる涼ちゃんは言った。  ぼくは振り返り、 「うん、ちょっと部活見学に」と答えた。 「そ、そうか。帰りは遅くなるのか?」 「どうだろう。まあちょっとくらいは」 「そう……」 「涼子ちゃんも部活の見学に行くの?」 「いや、私はどうだろ。どうしよかっなあ」涼ちゃんの歯切れが悪かった。 「ぼくはそろそろ行くよ。じゃあ」 「ああ」  背を向けて歩き出すと、後ろから涼ちゃんのため息が聞こえた。小さな幸せが、逃げていく気配がした。  渡り廊下を越え、別棟につき、階段を登っていく。探偵部は三階のあるらしいのだ。  階段を上がったすぐに、探偵部の部室があった。 『探偵部』と書かれたプラスチックのプレートがかけられてた。  その下には張り紙があり、『依頼者の方は三度ノックしてください。それ以外の方は二度』と書かれている。  三回ほど深呼吸すると、ぼくは二回ノックした。ややあって、どうぞと聞こえてきた。  扉を開け中に入る。部室の真ん中には、教室で使われている生徒用の机が四つ集まり、その奥の窓際にはデスクがあった。そこに先輩が座っていて、立ち上がると笑顔でぼくに近づいてきた。 「おお、昨日の黄色い顔の子。よく来てくれたな」  黄色い顔の子という言葉に引っかかりつつ、あなたも日本人なんだから黄色い顔だろうと思いつつも、 「失礼します」と言った。気の利いた言葉が思いつかなかったのだ。 「さあさあ、座ってくれ」  先輩はぼくの肩に手を置きながら、もう片方の手で入ってくれとジェスチャーした。先輩が椅子を引いてくれて、ぼくはそこに座った。 「探偵部は先輩一人なんですか?」とぼくは訊ねた。  先輩はデスクに座ると言った。「そうやねん、俺一人やで」 「じゃあ部長さんなんですか」 「ご名答。いい“論理的思考”やなぁきみぃ」 「……ちゃかしてます?」 「違う違う!」先輩は慌てて言った。「君は素質があるねってことを言いたいんや。誰も煽ってない」 「そ、そうですか」そう言ったものの、あまり信じてはいなかった。いい論理的思考やな、と言った時の顔が、どうもふざけていたように見えたのだ。 「まずは自己紹介しよか」と先輩は言った。「俺の名前は薬師寺(やくじ)ゆうきや。よろしく」先輩はニコッと笑った。 「ぼくは原田響といいます。よろしくお願いします」 「キョウ……」突然、先輩は顔を険しくした。「君はキョウいうんか」 「ええ、そうですけど」 「字はなんて書くの? 響くっていう漢字か」 「そうです。その字です」 「ふうん、そうかぁ」先輩は顎に手を当て、なにか考えている様子だった。  いったいどうしたんだろう。何かまずいことでも言ったかな……。  少しして仮眠から目覚めるように先輩ははっとして、ごめんごめんと謝った。「ちょっと考え事してて」 「そうなんですか」 「それでさ、キョウはどんなジャンルの小説が好きなん? ホームズ読んでるってことは、本格ミステリーが好きなんかなあって思ったんやけどさ」 「はい、本格ミステリーは大好きですよ」 「おお、そうかそうか! それは良かった」先輩は嬉しそうに目を細め頷いた。「なんの小説が一番好きなん?」 「ええ、難しいですねぇ」ぼくは腕を組み唸り声を上げた。  正直に白状すれば、こういう会話ができるのが嬉しかった。身近に趣味が合う人がいなかったから。 「確かにこの質問は難しいわな。でも俺があげるなら、カーの『ユダの窓』かなぁ」 「ああ、ユダの窓!」 「読んだことある?」 「はい。あれも最高の密室トリックですよね!」 「そう、そうやねん! 俺もあのトリックを読んだ時は、よく見つけたなって思ったもん。感心したわ」 「メルヴェール卿のキャラもいいですしね」 「わかってんなキョウ! そうやねん、あのおっさんが愛おしく思えてくんねんな」と先輩はにこにこして言った。「キョウはなんの小説が好き? 難しいかも知れんけど」 「ううん……」  ぼくは腕を組み、考えてみた。  頭の中で色んな名作が過ぎったけど、ある小説が一番初めに浮かんだ。あの衝撃は忘れるかとなどできない。 「ぼくは、『占星術殺人事件』ですかね」 「名作を持ってきたな! 占星術はほんまにええ小説やからな、わかるで」 「あの小説は特別です、ぼくにとっては。占星術を読まなければ、たぶんミステリーにもはまらなかったと思いますし」 「じゃあさ、一番好きは探偵は誰なん?」 「探偵ですか」これまた難問ではあるけど、ぼくの答えは決まっていた。「御手洗潔ですかね」 「やっぱりそうか。占星術殺人事件が好きなんやったら、そうなるやろなぁ」  その時、先輩の異変に気がついた。  先輩は同意するように頷いていたけど、瞳は獰猛な猛獣のように輝いていた。にんまりと笑みも浮かべ、策略が上手くいった詐欺師のようだった。  どうしたんだろうか……。 「そうか、そうか。好きは探偵は御手洗か」 「はい……」  依然として先輩は同じ表情を浮かべ、ぼくは背中に冷たいものを感じていた。知らないうちに、大きな大きな黒い穴には落っこちているような──  いや、それは大袈裟だということは知っている。けれど恐ろしかった。
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