一章 探偵部、おかしな先輩

5/11
前へ
/50ページ
次へ
「キョウはさ、小説って書いてる」 「えっ」  ぼくはドキリとした。背中は冷たいのに、顔は熱くなっていく。 「いや、まどろっこしい言い方はやめとくわ。キョウ、お前って小説家やろう?」 「っ!」  ぼくの鼓動はますます強まった。頭がカッと熱くなり、呼吸が荒くなる。喉も乾いてきて、ゴクリと唾を飲んだ。  でもここでおかしな反応をしてしまえば、証明してしまうことになる。  落ち着こう……落ち着こう……。 「ぼくが作家なわけないじゃないですか」 「ペンネームは御手洗響やろ、きみ」  ああ……、ダメだ……。  貧血を起こしたようにふらふらと倒れそうだった。むしろいっそうのこと倒れてしまいたかった。  どうして解ったんだろう……。たいして売れてもないのに……。 「なぜ、そう思ったんです?」とぼくはかすれた声で言った。まるで探偵に追求される犯人のようだった。  ああ、そうか……、犯人もこんな気持ちだったんだなあ── 「推理っていうほどでもないけど、説明するわ」と先輩は言った。「御手洗響は、一年ほど前にミステリー系の新人賞で、弱冠十五歳にして大賞を取ってデビューした。同じ頃、中学三年生にして、作家デビューした奴が隣の市にいると、俺の耳に入ってきた。  年齢は一致しているし、他の賞でも、十五歳でデビューした奴がいるという情報は聞かんかった。ということは、その中坊が御手洗響である可能性があるやろう。  御手洗響のデビュー作のあとがきには、こう書いてあった。『ペンネームは大好きな探偵から勝手に拝借し、自分の名前と組み合わせた』と。  そしてお前の名前は響。本格ミステリーが大好きなようやし、しかも好きな探偵は御手洗潔。年齢も一致してる。偶然という言葉でも片付けられるけど、俺は片付けられん。御手洗響が、この学校に入学していてもおかしくないやろうしな」 「なるほど……」とぼくは呟いた。  たいへん筋が通っている。反証の余地がなかった。  探偵部、伊達じゃないかも。薬師寺先輩が、伊達じゃないと言うべきか……。 「で、御手洗響なんか? 別に隠さんでもええやんか」  ぼくは諦めることにした。 「そうです。ぼくが御手洗響です」 「おお! やっぱりそうか!」先輩はガッツポーズを作り、声を大きくした。自分の推理が当たって喜んでいるんだろう。  こんなにも早く、作家ということがばれてしまうとは。高校では隠していこうと思ったのに。ああ、どうしよう……。  ぼくは、中学の頃に言われた辛辣は言葉を思い出した。  ──なにが作家だよ、あんなキモい小説  ──人を牛みたく切り刻んで、やばいよあれ  ──あのヒロイン、お前のただの願望じゃねえか。それがキモイんだよ  ──お前なんて、何一つ凄くねえかんな!  ああ、駄目だ……、考えちゃだめだ……。  ぼくは首を振り、正気を保とうとした。  落ち着こう、落ち着こう……。 「しかし、御手洗響に会うとはなあ……」  ちらりと先輩の方を見てみると、遠い目をしていた。 「ど、どうしたんですか」  すると突然、先輩の瞳に力が戻った。  目を見開き、両手をわなわな震わせ、口を大きく開けて笑った。 「凄いやんかあああ!」  先輩は勢い良く飛び跳ねると、ゴールを決めたサッカー選手のように右拳を挙げた。  そのままの勢いでぼくのそばまで来ると、 「まさか御手洗響に会えるなんてよ! ああ、すげえな、すげえな。光栄やわ先生! サインくれへんか? いや、頂けませんかね? お願いしますよ、先生の本好きなんです。デビュー作の月夜の殺人、良かったですよ、たいへん良かったですよ! 探偵の桃山(ももやま)ももじもいいキャラしてるし。次はいつ本でんの? ツイッターとかやらんの? てか、サインやサインッ! サインください!」  ぼくは鯉のように口をぽかんと開け、あ然としていた。目の前でまくし立てられ、その都度変わる表情と熱量に、驚いていた。 「わ、笑わないんですか?」 「はあ〜? お前アホちゃう」先輩はとても怖い顔をして言った。「なんで笑うねん。凄いことやんけ。むしろ嬉しくて笑けてくるわ」 「そ、そうですか」 「なんや、恥ずかしがってんのか」 「ま、まあ」 「アホやな、どこが恥ずかしいねん。作家なんやぞ。なりたくてもなれへん奴は一杯いるんやぞ。キョウにもわかるやろ。十年書いても、作家になれへん人もいるんやから」 「それはそうですけど……」 「まあ、確かに、御手洗響っていうペンネームは恥ずかしいと思うけどな」 「え」 「好きな探偵と合わせるっていうのはな、ちょっとな……」  ぼくの顔は火がついたように赤くなった。額から汗を吹き出し、下を向いた。  御手洗とつけるのは、ぼくも照れがあった。  でも好きだから! という気持ちで押し通したけど、あらためて人から言われると、消えかけていた恥が、業火のように燃え盛った。  ああ、恥ずかしい! 「そ、そんな恥ずかしがらんでも。別におかしくないから」ぼくが下を向いて両手で顔を隠していると、先輩はぼくの肩に手を置いた。「ごめんな、ほんまに」  ぼくは大きく息を吐き、溢れてきた汗を拭うと、顔を上げた。 「もう、平気です……」 「そう、良かった。ごめんな。俺もそこまで恥ずかしがるとは思わんかったから」 「いえ、そんな」 「素敵なペンネームやで?」と先輩は笑顔を見せた。「ああ、それでサインくれる? 薬師寺さんへって」  やっぱりこの人はちゃっかりしている。 「はい、少し恥ずかしいけど、ぼくので良ければ」 「ありがとう! じゃあ、また月夜の殺人持ってくるから、そこに書いてや」 「わかりました」 「はは、嬉しいな」  先輩は机の上に座ると、黄昏るように壁を見つめた。窓の外はすっかり夕陽でオレンジ色に染まり、青い空の面影は思い出のように薄れていた。  この部室も、かすかに夕陽の影響を受け、黄昏色になっていた。  先輩は二度、三度、感情を持て余すように足をぶらぶらと動かすと、ため息をつき、そうして言った。 「ええなあ、作家かぁ。俺も成りたいわ」  ぼくは夕陽から先輩に視線を移した。「先輩も書いてるんですか?」 「そうやで」と先輩は答えた。「薬師寺ゆうきっていう名前に覚えない?」  ぼくは首を捻った。「それって、先輩の名前なんじゃ?」 「やっぱり知らんか。まあ、そりゃあそうか」と先輩は呆気からんと笑った。「実はな、キョウが大賞取った新人賞には、俺も出してたんや」 「えっ」 「一応、最終選考まではいったんやけどな。でもあかんかって、やから憎き御手洗響を読んでみよって思ったんや。でも……」先輩はそこで少し間を開け、「やっぱ大賞取るだけあるな! 面白かったわ。完敗や」 「そんなこと……」 「謙遜すんな」 「でも、アマゾンのレビューでも星三でしたし」ぼくは自嘲気味に言った。 「アホか」先輩はそう言うと首を振った。「そんなもん気にすんな。……まあ、気にするなっていう方が難しいやろうけど、名作と呼ばれる小説だって星三やったりするんやから。少なくとも、俺は星五や」 「先輩……」  ぼくはじんときていた。真っ直ぐに、こんなにも作品のことを褒められたのは初めてだった。  先輩は面白いと思ってくれている。たとえ慰めの言葉だとしても嬉しかった。不安と情けなさに傷ついた心が、癒されていく気がした。 「でも俺だって負けへんで!」先輩は拳を握り、力強く言った。「まだ趣味の範疇やし誰かに笑われるかも知れんけど、必ず銭に替えてみせる。ごっつい金を手に入れてみせる。そして北海道に住むんや」 「なんで北海道なんですか?」 「ゴキブリが出やへんからや。ああ、口に出しただけでも鳥肌立つわ……」  なるほど、確かに納得できる理由だった。ぼくも大成すれば、北海道に住もうかな。  先輩はよいしょっと声を出し、机から降りると、尻を何度か叩き、その手でぼくの肩に手を乗せた。  まあ、別にいいんだけど……。汚いわけじゃないし。  先輩はぼくの肩を力強く掴み、 「なあ、入部せえへんか」と言った。「話も合うし、色々プロからの話も聴きたいんや。初めの一年間は部活に入らなあかんし、どうやろ」 「そうですね……」 「まあ、無理にでも入部させたいけど、無理にとは言わん。ちょっと考えてみて」  ぼくは頷いた。「わかりました」 「じゃあな御手洗響! また会おうや!」  先輩はぼくの肩を叩いた。いたっと声をもらすと、けたけたと笑った。  ぼくは肩を撫でながら立ち上がると、頭を下げ失礼しますと言った。 「またな」 「でも先輩、御手洗響って呼ぶのはやめてくださいね」  先輩は高笑いしながら頷いた。「わかったわかった。それなら先生って呼ばせてもらうよ」 「それもやめてください!」  先輩はまた高笑いした。聞いていて、楽しくなる笑い声だった。  後ろにある夕陽が、どうもいい味を引き出しているみたいだ。
/50ページ

最初のコメントを投稿しよう!

27人が本棚に入れています
本棚に追加