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夕食を食べ、ぼくは部屋に戻ってくると椅子に座った。
ふうと吐息をつき、両手を後頭部に持っていくと、先輩は、ぼくが作家であることを言わないでくれるかな、と考えた。
先輩は凄いと言ってくれたけど、みんながみんなそう思うはずもない。恥ずかしさもある。それ以上に、また中学生の頃のようになにか言われてしまうのではないか、という恐怖心があった。
ぼくが小説家になりたいと思ったのは、小学六年生の時だった。その頃から、少年探偵団やホームズなどが大好きで、憧れていた。仮面ライダーやウルトラマンより、ホームズや明智小五郎こそがぼくのヒーローだった。
小説家になりたいという夢は、初めは純粋な憧れだけだったけど、中学に上がり、段々と捉え方が変わっていった。
ぼくは西山くんみたいにスポーツはできないし、松木くんみたいにかっこよくもない。周囲と比べて、とても情けなくなった。ぼくも人に誇れるものが欲しかったのだ。
そんな悶々とした日々を過ごし、中学三年生になった頃、とある賞で大賞を取ることができ、デビューが決まった。
憧れていたプロ作家になることができたのだ。ぼくは涙が出そうになるくらい喜んだ。
それでみんなにも読んでもらいたくて、この喜びを知ってもらいたくて、クラスメイトに言ってみた。
すると予想とは違う反応が返ってきた。
もともと小説ばかり読んでいたこともあり、暗いやつだと小馬鹿にされていた。そんな弱い立場だったから、気に食わなかったんだと思う。
なにが作家だよ、あんなキモい小説
人を牛みたく切り刻んで、やばいよあれ
あのヒロイン、お前のただの願望じゃねえか。それがキモイんだよ
お前なんて、何一つ凄くねえかんな!
ぼくは苦しくなって、それを吐き出すようにため息をついた。
やっと人に誇れるものができたと思ったのに、そんなことは全然なかったんだ。
ぼくはぼくのままで、なにも変わらず、このまま安穏と時間が過ぎていくんだろうか。このままずっと。
小説を書いていると知ってるのは、かつてのクラスメイトと両親だけだ。ああ、あと薬師寺先輩と……。
涼ちゃんや叔母さん叔父さんには、話していない。同居する上で教えておいたほうが何かと都合がいいかも知れないけど、別にいいじゃないかと言う、もう一人のぼくに甘んじていた。
このままでいいわけはない。それはわかっている。だけれどぼくの心は、罪悪感と情けなさで傷が広がっていくのを知っていながらも尻込みさせる。
プロットを作る気にもなれず、本棚から小説を取り出してみても読む気になれず、ぼくは立ち上がった。居間でコーヒーでも飲もうと思った。気分を入れ替えよう。
部屋を出ると、お風呂上がりの涼ちゃんが廊下を歩いていた。ほんのりと湿った艶やかな長い黒髪を、バスタオルで優しく撫で、頬は健康的な赤い色をしている。今度ばかりは、夕陽のせいではないだろう。
パジャマのボタンが二つ開いていて、涼ちゃんの胸元が少し見えた。きめ細やかな肌が──綺麗な肌が──
ぼくは思わず視線を向けてしまい、慌てて目を逸らした。
顔に熱が帯びていくのがわかる。夕陽のせいではなかった。
「ああ、キョウか」と涼ちゃんは言った。「お風呂空いたから入ってくれば? 母さんに入られると、一時間は出てこないぞ」
ぼくは平静を装い、
「わかった、入るよ」と言った。目のやり場に少々困りながら。
涼ちゃんの横を通り過ぎると、呼び止められた。足を止め振り返ると、涼ちゃんはこちらに顔を向けることなく、静かに言った。
「やっぱり探偵部に入るのか?」
夕方と同じ質問だった。
「たぶんだけどね」
「たぶん? けっきょはどっちなんだ」問い詰めるように涼ちゃんは言った。背中にはベテラン刑事のような気迫があった。
「は、入ります」
「ああ、そう。そうなんだ」と涼ちゃんはどうでもよさそうに言った。背中にあったベテラン刑事の気迫は消えている。「わかったよ」
涼ちゃんは歩き出し、自分の部屋に入っていった。
なんだったんだろう。
少し考えたあと、まあいいかと納得した。この世には意味がないこともある。
階段を下り、浴室に向かおうとしていると、居間にいた叔父さんが言った。
「いまお母さんが入ってるよ」
「…………」
どうやら一時間のお預けらしい。
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