一章 探偵部、おかしな先輩

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 探偵部と書き、入部希望のプリントを提出した。  部活初日。ホームルームが終わり、部室に向かおうとしていると、涼ちゃんに呼び止められた。 「どうしたの?」とぼくは訊ねた。 「今から部活行くんだろ」 「そうだけど」 「なら一緒に行こうか」  ぼくを眉をひそめた。「どういうこと?」 「私も探偵部に入ることにしたんだよ」 「え、探偵部に!?」ぼくは周囲の目も忘れ、声を大きくした。 「声がでかいぞ」 「ご、ごめん……。でもどうして探偵部に?」 「いや、ほら、特に入りたい部活もなかったし、キョウがあれほど絶賛する推理小説にちょっと興味が湧いてさ、それで入ってみようかと」涼ちゃんは頬をポリポリと掻き、照れたように笑う。すると慌てた様子で、「べ、別にキョウと同じ部活に入りたかったわけじゃないからな! それだけはわかっておけよ!」 「それは分かってるけど……」  でも、涼ちゃんも本格ミステリーに興味を持ってくれていたなんて。本格ミステリー界の繁栄を願うぼくとしては、嬉しい限りだ。これで好きになってくれればいいんだけど。  ぼくは口元を緩めた。「でも涼ちゃんと一緒の部活だなんて嬉しいな。良かったよ」 「そ、そうか。嬉しいのか……」涼ちゃんは目を泳がし目を逸らした。 「うん。それに本格ミステリーに興味を持ってくれるのも!」 「そうかそうか……、えへへ」涼ちゃんは、お菓子をもらった子供のように、とてもご機嫌だった。 「じゃあ行こうか」 「おう」涼ちゃんはにこにこと笑い、返事した。  ぼくらは部室に向かった。  部室前につき、二度扉をノックする。関西弁で、入ってくれと返事がかえってきた。  扉を開け中に入ると、薬師寺先輩はデスクでトマス・ハリスの『レッド・ドラゴン』を読んでいた。  ぼくたちに気がつくと、本を机の上に置き、椅子から立ち上がり人懐っこい笑顔でこちらに近づいてきた。 「おおーよく来てくれたな! 探偵部へようこそ」先輩はハグしそうな勢いで手を広げた。 「よろしくお願いします」とぼくは言った。  涼ちゃんも会釈すると、 「お世話になります」と言った。  先輩はセールスマンのように手もみもして言った。「いやいや、こっちがお願いしますや。歓迎するで。まあ座って座って」  ぼくが椅子に座ると、涼ちゃんも横に腰を下ろした。先輩もデスクの椅子に座ると、前屈みになり、 「嬉しいな。二人も入ってくれるとは。キョウは入ってくれるかなって思ってたけど、こんな可愛い子がきてくれるとはな。依頼人も倍増やわ!」  と、淀むことなくそんなセリフを言った。初対面の相手に可愛いと言えるとは……。先輩、なかなかのやり手なのかも知れない。  涼ちゃんはどんな返事をしていいかわからず、「どうも……」と言った。可愛いと言われたのだから、少しは喜んでも良さそうだけど、そんな気は毛ほども感じさせなかった。 「キョウのことは知ってるけど、とりあえず自己紹介でもするか」と先輩は言った。「俺の名前は薬師寺ゆうきや。よろしく」  ぼくと涼ちゃんは頭を下げ、よろしくお願いしますと言った。  先輩は、次はお前の番だと目で合図した。でも、ここに自己紹介が必要な人はいないのだ。先輩にはこのあいだ挨拶したし、涼ちゃんも言うまでもなくぼくのことを知っている。とても小さな頃から。 「どうした、キョウ。緊張してんのか」 「いや、実はぼくたちいとこなんですよ」と涼ちゃんとぼくを交互に指差し言った。「だから、挨拶はいらないかなって」 「ああ、そうなん! じゃあ確かにキョウは挨拶いらんな」と先輩は頷く。「でも、仲いいんやな、いとこで一緒の部活に入るなんて」 「いや、別にそんなことはないっすけど!」と涼ちゃんは両手と首を振り、謙遜するように言った。 「じゃあキョウはいいから、きみ自己紹介してくれるか」 「原田涼子っていいます。あまり推理小説のことはわからないんですけど、キョウにも話を聞きながら知っていこうと思ってます」 「オッケー、オッケー。興味持ってくれてるってのが、ファンからしたら一番嬉しいんやから。なあ、キョウ」 「はい、そうですね」とぼくは言った。  先輩は楽しそうに声に出し笑った。寂しかった探偵部が賑わって、喜んでいるようだった。寂しかったというのは完全に予想ではあるけど。 「キョウの言う通り、いい人そうだな」と涼ちゃんはぼくの耳元で囁いた。  ぼくはこくりと頷き言った。「そうでしょ。ちょっとうるさいけど」  涼ちゃんは口に手を当て笑い、ぼくも声を出さないように笑みを噛み殺した。 「なんや、なんや、やっぱり仲がええんやな。なに笑ってんねん」と先輩は言った。 「いえ、なんでも」とぼくは誤魔化した。ちょっとうるさい、と笑ったことを言うことなんてできない。「それで部活ってなにをするんですか? 依頼人がどうとかって」 「そうそう、依頼人。俺らに解決してもらいたいことがあるって、ときおり謎を持って来くれるんや。それを優先的にこなし、なければお勉強や」  涼ちゃんは訊ねた。「勉強って、推理小説の?」 「そうや。厳密にいえば本格ミステリーやけど」 「推理小説とは違うんですか」 「説明が難しいけど、違う。本格と付くように、本格なんや。謎があり、これを論理的な推理で解き明かすのを重点においた小説のことを、本格ミステリーと言う。めっちゃ簡単に説明するとな」 「そうなのか、キョウ?」と涼ちゃんは言った。 「うん、まあ間違ってないよ。人によっては定義が違ったりするけどね」 「そうなんだ」 「うん。ヴァン・ダインの二十則っていって、これを破ってはいけないよっていう二十のルールを、ヴァン・ダインって人が提言したんだけど、これを守るのが本格ミステリーだという人もいるんだ」 「へえ」  すると先輩は苛立った様子で言った。「はん! ヴァン・ダインの二十則がなんぼのもんか! あんなもん気にしたらあかん、あかんでえ」  なぜだろう。先輩は二十則にたいへんご立腹のようだ。新人賞の選評で、なにか書かれたのだろうか。ヴァン・ダインの二十則ってご存知? みたいな。 「そうなの?」と涼ちゃんは、先輩からぼくに目を移し言った。 「うん。それを提言されたのは、ええっと、確か百年ほど前だったと思う。それを守れって言うのは、古典派の人たちだね。現代の本格ミステリーは、ほとんどそのルールは破られてるし」 「そや、キョウの言う通りや」と先輩はこくこくと頷きながら言った。「それを破った名作なんて山のようにある。縛られちゃあかんねん、そのジャンルか廃れていくだけや。新しいことをしていかなあかん。  それにや、本格ミステリーの始まりっていうのはやな、エドガー・アラン・ポーのモルグ街の殺人が初めと言われている。これ自体、特異な小説やし、そもそも──」  先輩はぺらぺらと本格ミステリーの歴史とうんちくを語り出した。  これはいけない! 涼ちゃんが興味をなくしてしまう!  こういう話は、もっと本格ミステリーと触れ合ってからの方がいい。そうでなければ辟易してしまう。小説の冒頭で、いきなり世界観の説明をされても困惑するのと同じようなものだ。  涼ちゃんの顔をおそるおそる覗いてみると、クエスチョンマークを浮かべ首を捻っていた。
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