三章 ハルとアキ

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三章 ハルとアキ

 桜井さんが訪れたときのように、先輩は椅子を持ってきて、ぼくと涼ちゃんのあいだに腰を下ろした。  花恋さんはぼくたちの目の前に座っている。緊張の様子はなく、落ち着いている。澄んだ目をしていた。  先輩は言った。「ようこそおいでくださいました」 「いえ、気にしないで。兄は春馬さんととても仲が良かったようだし、お役に立てるのなら私も嬉しいから」 「ありがとうございます。でも、どうやって俺らのことを知ったんです?」 「人伝いで一通り事情を聞いたんです。兄の話を聞きたがってるって。それで、会ってみようと思って、どこの学校か教えてもらいました。春馬さんが亡くなられたことを聞いていたし、さっきも言ったように、兄の友達のお役にたてるのなら、と。それに、兄さんの想いというのも、知っておいてもらった方がいいかと思って……」  花恋さんは声のトーンを落とし、視線も落とした。秋里さんのことを思い出してるんだろうか。花恋さんの痛みが、ぼくの心に触れた。 「兄が自殺した日にちは、八月三日。首を吊っている兄さんを発見したのは、私とお母さんなんです」と花恋さんは言った。「兄はアパートで一人暮らしをしていました。せっかくの誕生日だったのに、一人で……」  ぼくはアパートの一室を想像していた。  築何十年か経つ年季の入った部屋。じめじめとし、そこまで広くもない居間で、垂れたロープに首を吊り浮く男の人。顔は影があり見えない。部屋もかすかに薄暗い。時計の、時間を刻む音だけが聞こえる。その他は、すべてが死に絶えたように静かだった。  ぼくは寒くなり、右の二の腕をさすった。  先輩は訊ねた。「その、遺書はあったんですか?」  花恋さんは静かに頷いた。「兄は血液の病気を患っていて、余命宣告されていました。遺書には、その病気に絶えられなくなったと」 「そうですか……」  余命宣告されて、自殺を選ぶ人は多いと聞いたことがある。病気に向き合う辛さ、治療の辛さ、目の前に突きつけられた黒い死。それらから解放されたいと思い、死を選ぶ。死が唯一の救いなんだ。 「春馬さんと秋里さんの関係を教えてもらってもいいですか? それと、パスワードのことで解りそうなことがあれば、教えて欲しいんです」 「パスワードのことはごめんなさい、よくわからないけど、これを読んでもらえれば二人の関係は解ると思います」  花恋さんはカバンを開けると、中からA4の紙束を取り出した。 「それは?」 「兄さんは遺書の他に、スマホの中に想いをつづった文章を書きました。人生の最後に出会った友のこと、そして兄自身の想いを……。  それを読んでもらえれば、解ると思うんです」 「秋里の想いですか……。でもいいんですか?」と先輩は訊ねた。「関係のない俺らが見ても」 「はい。きっと兄も知ってほしいと望んでるはずですから。そう感じるんです」  先輩は花恋さんの目を数秒間見つめたあと、頷いた。「わかりました。では読ませてもらえますか」 「はい、これを」花恋さんは先輩にA4の紙を渡した。 「ありがとうございます」先輩は頭を下げ受け取った。 「訊きたいことは、たぶんそれを読んでもらえれば解ると思います。なので、これでお暇しさせてもらいますね。なにかありましたら、連絡をください。連絡先は、お渡した紙に書いてありますで」 「わざわざありがとうございました」 「では、これで」  花恋さんはカバンを持ち立ち上がると、歩き出した。扉を開け、外に出ると、頭をちょこんと下げ扉を閉めた。  数秒間の沈黙があった。誰も身動きも取らず、呼吸の音も聞こえない。各々、思うところがあるのだろう。  先輩は受け取った紙を見ると言った。「春馬さんとの出会いか」 「さっそく、読んでみましょうよ」とぼくは言った。 「それもそうやな」  先輩が机の上に置き読み出したのを、ぼくたちも頭を覗かせ読み始めた。
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