自縄自縛

6/11
26人が本棚に入れています
本棚に追加
/11ページ
 葬儀屋の男の人たちが、軒先に置く看板やら居間に飾る祭壇やら何やらの準備でせわしなく動いている。  隆さんは居間に寝かされていた。  顔に白い布が掛けられていた。  小さくなって、か細くなっていた。  私は私の中の笑顔の隆さんと照合しようとした。  うまくいかなかった。  でもいい。この人が隆さんだ。  隆さんはこの家に一人で住んでいて、一人で亡くなったらしい。妹の幸江んさんが訪ねた時には既に冷たくなっていたという。お布団の中で。  いつまで元気だったのかはよくわからない。でも病気がちではなかったのだという。死因は心臓発作とか、そういうものらしい。  昔はお義父さんとお義母さんが同居をしていたが、十年くらい前に立て続けに亡くなったのだそうだ。  「私も嫁に行っただに」と幸江さんは言った。  「失敗しただけえが」幸江さんは笑う。  「長男だったもんで。上手くなんかいきゃあへんよ。舅とか姑とか。上手くなんかいきゃあへん。おんなじ。真弓さんとおんなじだに」  そうだった。  私はこの佐藤家に単身乗り込んだ。嫁として。そして唯一少しだけわかり合うことができたのが幸江さんだった。当時の幸江さんは小姑の役回りだ。高校を出て農協の受付をしていた幸江さんにとって、東京の女子大を出た私は憧れの対象だったのかも知れない。よく田原俊彦の話をした。私たちは二人ともトシちゃんのファンだった。いつか絶対に一緒にトシちゃんのコンサートに行こうね、と約束したこともあった。その約束は果たされないまま私は佐藤家を去り、そして今日の日を迎えた。そう。若かったのだ。その当時。二人とも。  「ねえ真弓さん、今晩泊まっていかん?」  夕方になって葬儀屋が帰っていった後、幸江さんが言った。通夜は明日の夜で、葬儀は明後日の予定だった。  「今夜は誰も訪ねて来んら。一人で兄ちゃんと過ごすのは寂しいだよ」  私も特に予定がある訳ではなかった。会社を定年退職してからこっち、毎日が日曜日になって曜日の感覚が無くなり、予定表に予定を書かない日が何日も続く。だから私は今日帰らなくてもよい。自分のアパートへ。帰るのは明日にすればよい。この突然の私の予定変更を知らせなければならない人は誰もいない。私は誰に断りを入れることもなく、無断で突然外泊をすることができる。自由だ。完全に自由。  「じゃ決まりだに」幸江さんは楽しそうにそう言う。  「そうと決まったらさあ、店屋物取らん? 大和田の鰻。奢ってやるに。兄ちゃんのお金んあるで」
/11ページ

最初のコメントを投稿しよう!