自縄自縛

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 浜名湖が少しだけ見える山の中腹に、佐藤の実家があった。  門前まで乗り付けるのは気が引けたから、私は少し離れた郵便ポストのある角でタクシーを降りた。  細い坂道を登っていく。両脇の畑に菜の花が咲いている。土の匂いがする。  この時期は温州蜜柑の収穫がひと段落して、繁忙期の緊張感から少しだけ解放される。ここで暮らしたのはほんの数年だったが、私は柔らかな日差しに蜜柑農家が弛緩する空気を懐かしく感じていた。  歩いていくと、見慣れたブロック塀が見えてきた。  佐藤の家。  庭に白いライトバンがある。丸山葬儀社、と書かれている。  典型的な農家の、典型的な日本家屋。広い玄関。  引き戸が開け放たれている。  私は本当に何十年ぶりに、佐藤の家の敷居をまたぐ。  呼びかけると奥から返事がした。  「あら真弓さん」と、奥から出てきたその女性は言った。「ご無沙汰しています」  どうやらこの人が幸江さんらしい。隆さんの妹の。  私は私の記憶の中にある幸江さんを参照し、当てはめようとした。  でもうまくいかなかった。幸江さんはこんなにふくよかな人ではなかった。その当時。  でもいい。この人が幸江さんだ。  「お久しぶりです」と私は言った。  「わからんかったら」と幸江んさんは言った。「太っちゃったもんで」  久々に聞いた。遠州弁。  「この度はご愁傷様でした」  「真弓さん、遠くからすみません。でも来てくれてよかったやあ。私一人だったもんで」
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